唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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それを言っちゃ~、おしまいよ。(本場の人に期待したい)

え~、最初にお断りいたします。
この記事は、長めです。
長文苦手な方は「小分け」で
お時間のない方は「お時間を改めて」
それぞれ読んでいただくことを、オススメいたします。






「果たして沖縄の人間ではない私が沖縄民謡をやっていて
それは本物といえるのか…」


外三線で出会った「沖縄出身の人」から
「なんとなく、沖縄の歌と違う」と言われたことが何度かありました。
その都度、私は「どこら辺がですかね~?」と嫌味な感じがしないように
聞いていました。相手は「沖縄出身者」とはいえ唄三線をされない方ばかり。
「なんとなく、ここが…」と分らないなりに、皆さん親切に教えてくださいました。
私の「建設的な姿勢」(と勝手に自分で思っている)に
協力してくださったわけです。

沖縄の恩納村のある食堂に、
三線(黒木のかなりの年代モノだそうです)が置いてありました。
時間が半端だったせいもあり、お客は私一人。
私は「フーチャンプル」を待つ間、おばちゃんに許可をもらいこの三線を
弾かせていただき歌まで歌わせていただきました。

店主のおばちゃんは
「民謡もいいけど、琉球古典も勉強して欲しい。
本当の意味で沖縄音楽の美しさが分かるから。」と私に言いました。
で、「それにしても、結構できるんだね。」と。
おばちゃんは「沖縄の人間である自分が思う沖縄音楽の真髄」を
目の前であっけらかんと沖縄民謡をやる本土の人間の私に、
さりげなく伝えてくれたのです。

(この記事は、上の例に出てきた方々に対して書くものではありません。)





「果たして沖縄の人間ではない私が沖縄民謡をやっていて
それは本物といえるのか…」


こう、自問しながらいつも唄三線の練習をしているわけですが。
気にはなるものの残念ながら、
実際にはまだ私の実力を語る上で
そういう「観念的なもの」を持ち出すまでには至っていない。
「ここの音程が…」
「ここの三線と唄の絡みが…」
…と、こういう部分でどの曲もまだ出来ていないのである。
私の持ち歌など、どれも「未完成」である。

「唄三線を続けてレパートリーも増えたが、
どれも未完成の曲」という状態だ。

こういう状態では
「本土の人」だろうが
「沖縄の人」だろうが
誰であっても、変わらない。
単純な「練習不足」「研究不足」である。
ただ、それだけだ。

それでも、気になる。
「自分は、沖縄の人ではないから…」
というのが。

私は、今は休業しているものの
その昔は「ジャズ」に明け暮れていた。
知っている方もいらっしゃると思うが
「ジャズ」を今日のように「芸術」にまで高めたのには
アメリカの黒人達の力が大きい。
「ジャズ」とは、元々「黒人達の音楽」なのである。
その根っこは「ブルース」であり、「ゴスペル」であり
そういうジャンルには入らないような「黒人達の歌」なのである。

ジャズの中でも、泥臭いフレーズや強烈なリズムが特徴の「ビバップ」という
ジャンルのジャズが、私は大好きであった。

以前記事で紹介した「在日米軍横田基地」
の近くのライブハウスで演奏していた関係で
基地に勤務するアメリカ人たちとも仲良くなり
基地内で「ジャズ愛好家」が行う「ジャムセッション」にも
欠かさず出席していた。
(ここらへん…、私の「米軍基地」への複雑な思いもありますが
それはまたいずれ記事にしようと思います。)

こうやって「本場の人たち」と演奏すると、
実に驚くべきことがいっぱいあった。
本場アメリカの「ジャズをやる人たち」の中には
「楽譜を読めない」
「下手すると、コードすら知らない」
という人たちがたくさんいたのである。

しかもそれなのに
カッコいいフレーズをバンバン演奏して
はたで聴いていても、全然飽きない。むしろ、感動すらしていた。
「何で軍人なんかしているの?プロじゃないの?」
なんていう人たちばかりであった。
もちろん「ジャズをする全てのアメリカ人が」という話ではありません。
アメリカ人でも、ものすごく楽譜や理論に強い人は大勢います。

ジャズの理論や方法論を真剣になって勉強していた私は
一気に興ざめです。「やはり人種の問題か…」と思いましたよ。
今思えば、沖縄民謡を語る上で出てくる「沖縄の人と本土の人の差」
以上のものを感じました。主に「リズム」については、相当悩みました。
今でも、悩んでいます。三線やりながら…。

決して「沖縄民謡は簡単だ」「自分は出来ている」なんて思ってもいないですが
この時の「ショック」に比べたら、沖縄民謡に対しては
まだまだ「挑戦できるな」と思うわけです。
沖縄も、本土も同じ日本なのですから。

基地のアメリカ人たちは、悩む私にこう言いました。
「人種は、関係ない。大事なのは楽しもうとする心があるかどうかなんだ。
事実、お前は一生懸命練習しているじゃないか。」と。

さらには「お前には、俺達アメリカ人に出来ない演奏をする」
という言葉までもらえました。
「日本人が、ジャズを演奏するのも面白い」と思っていたようです。
この人たちは「違う国の人が演奏する、自分達の国の音楽」を
認めているわけです。

続いて
「このフレーズはカッコいいぞ」とか
「この響きのときに、この音を使うとクールだ」とか
「あのジャズの巨匠は、こういうフレーズを良く使うんだ」
「お前の演奏したこのフレーズは面白いが、こうしたらもっとクールだ」
など
「私がジャズをジャズらしく演奏する上での注意点や気づき」
をたくさん教えてくれたのです。

もしこの時に
「お前の演奏は、アメリカ人ではないからジャズじゃないな」
なんて言われたりしたら、どうでしょう。
私、ジャズを辞めていたかもしれません。
少なからず「自分は、アメリカ人ではないから…」
という負い目があるわけです。
だからこそ、ジャズを聴き込んで練習をし
ジャズの歴史や成り立ちについて知識を深め
さらに黒人の奴隷や差別についての勉強もして
それ以外にも
「音楽が表だとすると、裏に当たる部分」を大切にしてきたつもりでした。

それなのに、私の一番痛いところを突く言葉を掛けられたりしたら…。
「そんなみみっちい世界なら、もういいや」
と興ざめしてしまうかもしれませんでした。

もちろん、現在のジャズのワールドワイドな愛され方と
沖縄の民謡の「日本国内がメイン」という愛され方では
規模が違うのは、理解しているつもりです。
でも、決して「異なもの」ではないはずです。

ジャズの世界でも、いまだに
「黒人以外のジャズは偽者だ」
「黒人以外は、ジャズを演奏すべきでない」
なんていう人がいます。
日本人でも、こういう人がいるのです。
その多くは「リスナー」という「ジャズを聴くのが趣味の人」ですが。

私が、「本場の人」の立場になるときには…。
つまり、例を出すと
もしある外国人に日本語を教えることになったら…。
「君のは日本語に聞えない」
というだけではなく
「どうして日本人的に聞えないのか」
「どこをどういう風に矯正すれば、日本人らしく聞えるか」
ということまで説明したいのです。というか
「日本語に聞えない」
と言う以上は、その「理由・根拠」を説明できる自分でいたいな。
と思うわけです。

逆を言えば
「日本人でないから」
こういう風にしかいえないのであれば
「日本語には聞えない」
というべきではないと思うのです。

なぜか?
「日本語を勉強しているこの外国人よりはるかに、
自分の日本語に対する姿勢は甘い」と思うからなのです。
悔しいですけど。
説明できないということは「勉強不足」です。

「日本人がジャズを演奏する」→「黒人でないからジャズではない」
「外国人が日本語を勉強する」→「日本人でないから日本語に聞えない」

こういう理屈は、ある意味暴力的です。
しかも上の例で言えば「本場の人」が言うと、もう「核兵器並み」です。
なぜなら、言われた側の建設的な「努力する姿勢」が全否定されてしまうからです。
即時「強制終了」です。
「それを言っちゃ~、おしまいよ」です。
しかも、言われた側はその核心部分について
いつでも熟考しているはずなのです。
一番、痛いところです。

でも、こういうことを言いたくなる気持ちって、あるんでしょうね。

「ジャズが今までのようになるまでには、大変な苦労があった。
黒人の奴隷の時代。人種差別。そういう問題を抱えながら
今まで来たのだ。そういう歴史や事実を知らない(体験していない)
人間に、ジャズを表現できるものか。決して出来はしないのである。」

「日本語には、ひとつの事を表現するにも実に多くの言い回しがあります。
それは大雑把な英語とは違い、実に繊細なものです。
だから日本の侘び寂びの心を知らない外国人には、決してマスターできないのです」

私は
「本場の人間を自負」して、かつ「本場ではない人」に対して
「本物ではない」と明言するならば、「本場ではない人」に
きちんと説明すべきだと思うわけです。
「本場では、ここはこうしている」
「本場では、そういうやり方はしない」
「こういう風にすれば、かなり近くなると思う。」

その上で
「こういう事実もあるから、知っておくと良い」
「これは勉強する上で、必要なことだと思う。」
「知っていれば、理解は一層深まると思う」

と教えてあげればいいと思うのです。
複雑な思いや自分の考えは、スマートにさりげなく伝える。
これが「優しさ」なのではないかと。

沖縄の民謡の場合はどうなんでしょう。
本場の人。といっても、いろいろいらっしゃるんでしょうね。
中には「やはり沖縄の人間でないから、ダメだ」なんていう人もいるのでしょうね。
本土に対して、複雑な思いを抱く人も沢山いるでしょう。
「やはり沖縄の人間でないと…」といいたくなる気持ちも、分ります。

でもこれだけはいえます。

例え最初は好奇心からでも、のめりこむうちに
民謡や沖縄音楽以外についても知ろうとしている人は
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
問題になっていた沢山のことに関して、
何も知らなかった人たちが勉強して
「問題について考える」ということもするでしょう。

沖縄に限らず、どのジャンルについても、
日常においては仕事のうえでも言える事ですが
「建設的な意見の伴わない批判」って
誰にでもできるんじゃないでしょうか。
どうせなら「さすが本場の人」とこちらが思うくらいの
「建設的な意見」が聞きたいなと、私は思うわけです。



※きちんと建設的な意見を言ってくれる「沖縄出身の人」は何人もいるはずです。
 私自身も、実感していることです。
 「沖縄の人全てを批判している」というわけではないので、ご了承ください。
by niraikanai76 | 2006-03-04 23:27 | 唄三線