唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


by niraikanai76

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

唄三線
三線独学のススメ
沖縄以外の音楽のこと
沖縄新婚旅行(三線探しの旅)
沖縄考
介護のこと
映画
読書
父親になった
ひとりゆんたく
酔狂歌人のこと
酔狂歌人にメールする
食材確保の魚釣り

以前の記事

2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2007年 11月
2007年 10月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月

オススメリンク

お気に入りブログ

やいまぬ風
有言、いつか実行。
三線弾きはカジマヤーで魂...
島々のくも

ライフログ


はじめての三線―沖縄・宮古・八重山の民謡を弾く [PR]


風狂歌人~ザ・ベスト・オブ嘉手苅林昌~ [PR]


よなは徹 プレゼンツ カチャーシー・ア・ゴーゴー [PR]


連続カチャーシー2005 [PR]


よなは徹 プレゼンツ ウチナー わらべうた [PR]

最新のトラックバック

検索

タグ

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

バイバイ沖縄

<ヤマト食堂>

照喜名三味線店を出て、私は首里城に行こうとしていました。
文化遺産好きの妻が「沖縄旅行では外せない」と言っていた
観光名所です。

でも、妻はホテルで静養中。
私一人で行ってしまっては、妻がかわいそうです。
「また、来たときに家族揃って行こう」
そう決めて、首里に向かっていた車を
そのまま恩納へ行き先変更して走らせます。

高速は「屋嘉~許田」間の大雨による落石警戒通行止め
もこの日には解除されていたのですが、私は下の道で
那覇から恩納まで帰ることにしました。
今日で沖縄の景色を見れるのは最後です。
ゆっくり、ホテルに帰るつもりです。

場所はよく覚えていないのですが
恩納村、ホテルムーンビーチの近く58号沿いに
「ヤマト食堂」はありました。
私達夫婦が沖縄に到着したその日の夕食を
この食堂で摂ったのですが
お店のこじんまりした感じと
店主のおばぁさんの素敵な笑顔、そして何より
おいしい料理が食べられて、私達は大満足でした。

初日に「また食べに来ます。」
とおばぁさんに言ったので、この沖縄旅行最終の夕食を
ぜひ、ここで食べようと思い、私は一人でまた来てみました。

お店の向かい側の駐車場に車を止めて
歩いてお店の前まで行きます。
お店は初日にきたときに比べて中の灯りが暗いように
感じました。
入り口左手はすぐカウンターになっていて、右側は
テーブル席と座敷が2・3づつだったと思います。

ドアを覗き込むと、カウンターで店主のおばぁさん
中年の男女が3人でお食事をされているようです。
「もう、終わりのじかんかなぁ。まぁいいや。挨拶だけして
他のところで食事をするか」
と思い、ドアを開けてみます。が、鍵が掛かっていました。

鍵の掛かったドアを引く「ガタン」という音におばぁさんが気付き
鍵を開けて出てきてくれました。

「あぁ、あんたね」
おばぁさん。あまり元気が無いようです。

「はい。明日、埼玉へ帰るものですから
最後の夕食をここで、と思っていたのですが
もう終わりのようですのでご挨拶だけ、と思って来ました。」

「昼間によ、店の看板出そうとしてひっくり返ってよ。
ほら、ここのコンクリート。これにつまづいた。
腕が切れて、病院行って縫ってきたんだよ。ほれ。」

と私に包帯でぐるぐる巻きになった右腕を見せます。

「これじゃあ、包丁握れんさ。
せっかく来てくれたのにねぇ。
今、息子夫婦が心配してきてくれたとこよ。」
と続けます。

「あぁ。それは大変でした。
ご飯が食べれないのは残念ですけど
帰る前におばぁさんにお会いできて良かったです。
でも、大丈夫なんですか?他には怪我は無いんですか?」
私は仕事柄、年配の方が転倒したと聞くと心配せずにはいられません。

「大丈夫。腕さえ治ればまた料理できるさ。
あんた。わざわざ来てくれたのに、済まないねぇ。」
とおばぁさんは申し訳なさそうに言います。

「良いんです。またおばぁさんの料理を食べるために
また沖縄に来ます。そのときは、また美味しいご飯をお願いします。
腕の怪我、くれぐれもお大事にしてください。」

そんな挨拶をして、食堂を後にします。
私が車に乗っても、走り出すそのときも
おばぁさんはずっと怪我をしていない左手を振り続けてくれました。
ハンドルを握りながら
「また来ます。また来ますよ。」
何度も心の中で言いました。

<どうする帰宅!?>

明けて翌日。
ホテルのチェックアウトは10時です。
那覇発の予約してあった飛行機は16時です。
旅行を予約したときには
「出来る限りギリギリまで沖縄で遊ぼう」
と考えていたことが、完全にアダとなりました。
この間の6時間をどうするか?

妻はつわりです。
外で過ごすわけにはいきませんし
匂いひとつで気分が悪くなるようです。
飲食店で安静に…というのも出来ません。

パック旅行ですから、飛行機を早めることも
どうやら出来ないようです。

私は考えた末、那覇空港に電話します。
「安静にしていられる部屋はありますか?妻がつわりで
気分が悪いんです。飛行機は16時なんですが」

「救護室をお使いください。
飛行機のお時間まで、いてくださって構いません」

お礼をいって電話を切ります。

すぐホテルをチェックアウトして車に乗り
那覇へ向かいます。

この日は快晴でした。
皮肉にも、最終日だけ快晴です。
58号に出ると、まばゆいばかりの
コバルトブルーの海が目に入ります。
「帰る日にこんなに天気がいいとはね。
きれいだねぇ。次は、この海で泳いでみたい」
妻が言います。

「今度は子供を連れて、三人で来よう。
そのときは、きっと天気がいいよ」

「そうだね」

もう、東京へ向かっていて
しかも妻は調子がすこぶる悪いのに
「最後にきれいな風景が見れて良かった」
そう思いました。

車は那覇へ。
レンタカーの事業所へ向かいます。
一週間、いろいろなところへ私を連れて行ってくれた
水色の日産キューブとも、いよいよお別れです。
事業所の係員に誘導されて、車を降りる前
ふと距離計に目を移します。

「999.8km」

なんと! 私は1週間の旅行で約1000kmを走破したことになります。
これには自分でも驚きでした。
水色のキューブに手を当てて「お疲れ様です」と心の中で言ったあと
妻を介助してレンタカー会社のバスに乗ります。

空港へ着くと、私だけ一目散にインフォメーションに向かいます。
「先ほど電話したものですが、救護所は使用可能でしょうか?」
「はい大丈夫です。こちらへ…」
と妻と一緒に救護所に入ります。
何日か前に漆畑さんと待ち合わせした空港内郵便局のすぐ横でした。

と、そこは学校の保健室に良く似ていました。
2台のベッドと、目隠しのパーテーション。
いすもありました。
妻をベッドに横にして、水を飲ませます。

妻が落ちいたころ、
私は急にお腹が空いてきました。
時間は午後二時です。

「ちょっと出てくるから。何かあったら携帯に電話して。」
と言い残し、空港内で昼食をとることにしました。
いろいろなお店があったのですが、私が選んだのは
沖縄料理店です。注文したのはもちろん「フーチャンプル」でした。
沖縄ではこればかり食べていた気がします。

そのあとは救護所に戻り
妻の横で搭乗手続きまで待ちます。

飛行機が離陸したとき
一応、座っていれば東京に行けることに安堵しました。
「バイバイ沖縄」

それからはもう、埼玉に帰るので必死でした。
ただ、飛行機から見えた富士山だけは今でも印象に残っています。

私は埼玉の所沢に住んでいます。
幸い、羽田からは所沢駅にリムジンバスが出ています。
電車と相当迷ったのですが、妻の希望でバスにしました。
渋滞するかと思いきや、なんと50分で所沢へ到着です。

駅から家まではタクシーです。
家に着くとすぐに妻を布団に横にします。

恩納から所沢まで。
それこそあっという間に帰ってきました。
気付いたら、家にいました。

<新婚旅行アゲイン>

新婚旅行、そして初めての沖縄で
・記録的豪雨
・妻のつわり
・結婚記念三線入手
・漆畑さんとのご対面

それこそ「こんな珍事があっていいのか!?」
ということがものすごく数多くありました。
いろんな意味で「一生の思い出に残る旅行」
となりました。

もう、調子の戻った妻は
「新婚旅行はもう一回行きたい。ほとんどホテルで寝てたから」
と言います。

もちろん、そのときはまた沖縄に行くでしょう。
今度は八重山にしようかな。

2005年沖縄新婚旅行、完
by niraikanai76 | 2005-12-26 17:56 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)