唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


by niraikanai76

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楽器演奏者の苦悩

「唄三線」
この言葉は、私が三線を始めてすぐに覚えた言葉である。
要は、唄と三線はセット。ということ。
沖縄の伝統的な音楽には俗に言う「インストゥルメンタル」(楽器のみの音楽)
というのは皆無に等しい。
どの曲にもまず唄があり、三線が後から伴奏として付く。

唄三線を始めるまで、サックスやベースといったいわゆる「伴奏楽器」
をやっていた私にとって、歌を歌いながら楽器を演奏する。というのは至難の業だった。
唄三線をやるまでは、バンドの中にボーカルなりメインとなる楽器の人がいて、
私はその人を引き立てながら自分の演奏をして楽しんでいればそれでよかった。

ところが唄三線を始めてから、メインも伴奏も自分でこなさなくてはならなくなった。
自分で「やる」と決めて始めた唄三線ではあるものの、私は唄が嫌いだった。
ボーカルの人が嫌い、歌モノの音楽が嫌いというのではなく「自分が歌を歌う」というのが
大嫌いだったのである。

それに付け加えて「歌はずるい」と思っていたフシもある。
分かりやすい「言葉」と自分の声の二つを使い、音楽的表現が出来る「歌」に対して
メロディーを奏でるだけのサックス。低音でノリを作り出すベース。
いずれも音だけで人に訴えるだけのものを演奏するには相当の修練を必要とする。
もっとも、歌三線をするようになった今では実は楽器の修練よりも歌の練習も同じ位かそれ以上難しいと考えるようにはなったが。

だから、私はボーカルとバンドと切り離して考えることが多かった。
いかにボーカルが歌い易い土台をバンドで作り上げるか。そのことのみに心血を注いでいたと言っても過言ではないくらいである。その土台のバンドをいかに使い、自分の色に染めていくのかはボーカル次第。かなり割り切って考えていた。

しかし、唄三線となると「全部自分次第」である。
演奏が下手なのも、唄をうまく引き立てる演奏が出来ないのも、歌自体が未熟なのも全部
「自分次第」である。
まるで、今まで会社の役員で自分の守備範囲だけを固めていれば良かったのに急に社長になってしまったような感覚。役員にも社長にもなった事無いですけどね。

これは困ったことになったぞ。

三線は楽器である。
しかし、あくまでも「歌の伴奏として」である。
三線でいくら華麗な演奏が出来ても、歌が伴わなければそれは「曲芸」としか捉えられない。
実際、沖縄音楽の著名な音楽家たちは皆さん歌の達人である。
三線1本で歌を歌わずに沖縄音楽の音楽家になった人はいるのかもしれないが私は知らない。

これは「歌が嫌い」などといっている場合ではない。
沖縄の三味線は楽譜ももちろん歌の伴奏用に書いてあるので、三線だけ弾けるようになってもつまらないのである。これで歌なしで楽しんでいるようでは「一人でベースを弾いてもつまらない」と考えていたのと変らない状況だ。その状況を打開すべく、一人でも音楽を楽しむために沖縄の三線を購入したのである。歌もマスターしなければ、逆戻りだ。


それからは歌詞を覚えるのに一苦労であった。そして唄の練習。
唄三線を始めた当初は実家住まいだったので、家族は大変驚いていた。
今までは、ジャズや昔のソウルミュージックが流れていた部屋から急に沖縄民謡が聞こえてくる。
しかも唄嫌いの長男が歌っているのだ。

唄の練習はやってみると大変に難しい。
楽器であれば、引っかかる部分を徹底的に反復練習してつぶしていけばよい。
しかも、楽器はアンプから音が出たりするので比較的第三者的に聞けて自分の欠点を見つけやすかった。でも、唄は自分の声が音楽の発生源である。ぜんぜん第三者的に分析できない上に合っているのか間違っているのかもよく把握できない。

それからは、ベースの個人練習やバンドの練習で使っていた貸しスタジオに行き、自分の唄三線をMDに録音してみたりした。CDと比べてみて、もちろん「ぜんぜんだめ」という評価を自分で下した。それからというものの、沖縄民謡のCDを聴くときには唄に集中するようになった。
三線を練習するときには三線に集中。こういう練習方法を採用しだした。

①新しい曲の練習を始めるときはまずCDを徹底的に聴く。
              ↓
②唄のメロディーを把握したら三線だけを徹底的に練習。
              ↓
③唄がどのタイミングで乗るのか三線を弾きながら頭の中で唄を乗せてシュミレーション
              ↓
④三線を持たずに歌だけ練習
              ↓
⑤いよいよ唄と三線をあわせる

という非常に段階を踏んだ過程をたどった練習方法である。
もっとも、慣れてきた今では曲によっては①からいきなり⑤へなんていう離れ業も出来るようになってきた。

唄を練習するようになって、唄は「ずるい」どころか素晴らしい表現力を持った音楽的技法なのだと認識させられた。今まで、それを分からずにベースを持ってえらそうに弾いていた自分はぜんぜんボーカルを引き立てる演奏が出来ていなかった事も改めて認識させられた。

さらに不思議なことが起こった。
ぜんぜんできなかった「ベースを弾きながら歌を歌う」というのがいつの間にか出来ていた。
音楽でひとつの体で2つのこと(唄三線であれば、唄を歌う+三線を弾く)をするというのを
今までしてこなかった。ドラムやピアノがいい例だろう。
そういえば、自分自身そういう楽器は敬遠していたフシがある。

自分が唄を歌ってこそ「唄を引き立てる演奏とはどんなものか」
が分かるのに、自分はそれを拒絶し続けていた。
唄三線が、今までの自分の音楽人生について「そうじゃないんだよ」
とそっと教えてくれた気がした。
おそらく会社の役員は、社長以上に会社全体のことを
わかっていなければならないのである。

今は、曲をマスターしていくので精一杯である。
そのうち新しい曲を増やすことは一時止めて
「どうしたら自分の三線で自分の唄が引き立つように演奏できるのか」とか
「いろんな歌い方のバリエーション」なんかも研究してみたいと考えている。

楽器演奏者の苦悩は続く。
by niraikanai76 | 2005-12-02 13:46 | 唄三線