唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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カテゴリ:沖縄新婚旅行(三線探しの旅)( 32 )

照喜名さんの、宝物

f0010549_11145325.jpg


沖縄県佐敷町。
(もう合併してしまったのか…三味線店から頂いた年賀状の住所は
「沖縄県南城市」となっていた。)
照喜名三味線店は、サトウキビ畑の広がる
のどかなこの町に、ある。

私がこのお店にお邪魔したときに
店主の側に、古い三線が置いてあった…
というのは同行していただいた漆畑さんが見つけたのであるが、
この三線、店主は「宝物だ」とおっしゃる。

私も触らせていただいたこの三線。
実は店主があの沖縄戦の後に製作されたものだという。

「ワシが一番最初に作った三味線。
今考えれば、これこそが宝物じゃないかと思ってよ」

と店主は話されていた。

三線の価値。
それは色んな捉え方があるだろう。
楽器として音が優れている三線。
工芸品として、棹材や形や塗りにこだわって作られた三線。
有名店で作られた三線。なんていうのもあるかもしれない。

そういう
「三線という楽器自体に付けられた価値」
というもの以外に、
この照喜名さんの三線のような

「三線にまつわるエピソードに価値のある三線」
というのもあるんだなぁ。と知り、とても勉強させていただいた次第だ。

この三線、棹は黒木のようだがシラタが多かった。
注1(シラタ…黒木の黒い部分に混じる白い部分を指す。)
注2(俗に「シラタが多いと値段が安い」とも言われるが
価値判断は人それぞれでしょう。)

形だって、今の照喜名三味線店が製作している三線に
比べれば、それほどきれいとは言えない。
ティーガーも巻かれておらず
棹には塗りも施されていない。
さらには経年変化なのだろうか。所々、色がくすんでいたり
手垢や埃がこびりついているところもある。

そんな三線だけれど、この三線には
お金では計れない価値がある。プライスレス。
○スターカードでも買えない物があるのだ。

この三線を店主が作ったとき、
照喜名三味線店はまだ店舗としては存在していなかっただろう。
いわば、「照喜名三味線店」のルーツである。
この三線が元になり、今の「老舗・照喜名三味線店」がある。

この三線を起点に、今に至るまで数え切れないほどの三味線が
店主の手から生まれてゆく。
この「ルーツとなった三線」「名工の初作」こそが
この三味線店そして店主の宝物だろう。

そこには、材質がどうの。音がどうの。といった価値感は
持ち込めない。いや、持ち込まなくともすでにそういうことを
超越した価値がこの三線にはあると私は思った。

私もそうだったが、
購入者は三線を購入するときに
作りや材質などに目を奪われがちである。
それは致し方ないところだろう。
誰でも、買うとなれば予算の許す限り良い三線が欲しい。

けれども、三線を「手に入れた後」
も大事なのだと勉強させていただいた。

その「手に入れた三線」といかに付き合っていくか。
意識しなくても、三線と長く付き合っていけば
三線とのエピソードは、出来てくるものだと思う。

でも出来ることなら、なるべく素敵な形で
三線とともに時間を刻んで行きたい。

私の三線。
いずれは、子供に託したいものだ。
「これはオヤジがいつも弾いていた三線だ。
家宝なのだ。」
と引き継いでくれれば、この上ない。

私が死ぬとき
「オヤジのモノだから、棺桶に入れて
一緒に燃やそう」
というのは、ちょっと寂しいですね。

…とこんな話を以前、漆畑さんに電話で話しをさせていただいたら
「あぁ。黒木はですね。どうやら燃えやすいらしいですよ」

…って、そんなフォロー。いりませんからぁ!!残念!!(ってもう古いのでしょうか?)

尚、この写真。店主の息子さんではありますが
照喜名三味線店の照喜名朝榮さんに許可を頂き
掲載させていただきました。
店主の、三線を造り続けてきた無骨な手と
宝物の三線のコンビネーションが、とてもカッコいいです。
我ながら、いい写真だと思っています。
ありがとうございます。

前記事:「沖縄で、帰る日に見た青い海」
by niraikanai76 | 2006-01-07 11:52 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

沖縄で、帰る日に見た青い海。

f0010549_10525133.jpg


6月の沖縄旅行のとき。
沖縄県恩納村、「かりゆしビーチリゾート恩納」
というホテルに私達夫婦は宿泊していました。

部屋からは、東シナ海の海が一望できました。
ホテル自体が、高台に建設されているため
視点がかなり高いです。
私達の宿泊したのは7階でしたが
普通の建物の7階よりも、遥かに高く感じました。

このホテルに宿泊すること1週間。
この1週間の滞在中
朝から晴天に恵まれたのは、ほんのわずか
帰る日のみでした。

最終日には、沖縄に来てから見たことの無かった
「グラスボート」も海に浮かんでいました。

つわりで調子の悪かった妻も
この日の海には喜んでいたようです。

最終日ににしか、きれいな海が見られなくて残念だったなぁ…
という気持ちも少しはありますが、それほど残念ではありませんでした。

それなりに沖縄は満喫しましたし
なにより、三線が見つけられたからです。

完全に、沖縄旅行の目的を間違えていたようです。

でも、天気が悪くて発見もありました。
沖縄のきれいな珊瑚の海。
あの良く見る写真のようなクリアーなブルーは
晴れで無いとだめなんですね。
晴れて、日光が海中に差し込まないと
きれいな青にはならないようです。

実際、私がドライブ中に見た
「悪天候時の沖縄の海」は
グレー、もしくはダークブルー、
川の水が流れ込んで「茶色」などという色も見ました。

色々な状態の沖縄の海が見れて
これはこれで、面白かったです。

だけど…ずっと晴天だったら
もっと気分良かっただろうなぁ。
by niraikanai76 | 2006-01-07 11:08 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

新婚旅行番外編~我が愛器の原木姿「二つ星小」

画像の縮小に成功し、
6月に「照喜名三味線店」で撮影した
「二つ星小」の三味線になる前の姿の
画像を掲載することが出来ました。

f0010549_15504443.jpg

f0010549_155123.jpg



単に上の画像は縦向き、下の画像は横向き
で撮影しただけで、どちらも同じ木です。
by niraikanai76 | 2006-01-03 15:53 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三味線が届いたその日<新婚旅行番外編>

私が照喜名三味線店に三線を注文したのが6月20日。
「この日までに間に合わせてください。」
とお願いした結婚披露パーティーの日が7月23日。

沖縄で朝栄さんに三味線を注文して
埼玉に帰ってきてからはすぐは「三線が待ち遠しいなぁ」
程度の余裕のある気持ちがあったのだが、7月も10日を過ぎると
急に私はそわそわしだした。

「三線は届きましたか?」
休み時間にも職場から妻にメールをする始末。
家に来た宅配便を三味線だと思ってドアを開けてみたら
義理の母からの差し入れの品だったりして、急にがっかりしたり。
(差し入れはそのものは嬉しかったんですよ)

来る日も来る日も
三味線は届かず…。

しかしその日はやってきたのです。(当たり前)

7月17日午後7時

この時、私は家でフーチャンプルーを自作して
まさに食べようとしていた。
「三味線がなかなか届かないから、食事で沖縄を思い出して
楽しみます。」
と妻に宣言していた。
さらに盛り付け、テーブルに運び箸を持ったその瞬間。

ピーンポーン

「これは三味線に間違いない」
玄関を開けると、宅配便の人は長くて四角いダンボールを持っていました。
「はんこお願いしまーす。三味線って書いてあるけど、お兄さんがやるの?」

「はい。沖縄で注文してきたんです。」

「へー。すごいねぇ。じゃ、ありがとうございましたー。」

宅配の人が帰ったあと。
私は震える手でダンボールを開けます。
中から三線のハードケースが出てきます。
ビニールをはがし、梱包用エアパッキンを取り去り
私の横にはごみの山が出来ていました。

ここで一度落ち着き、まずはごみを片付けます。

「さぁ」
ケースの前に座って、パチンパチンパチンと留め金を外し
ケースを開けます。
中には、それはまばゆいばかりに輝きを放った
きれいな形の真壁型の三線が出てきます。

例の二つ星は、私が作業場で見たときの白ではなく
塗りが施されたことによって飴色に輝いていました。
チマグも天も、私が照喜名三味線店で見た三線と同じように
洗練された素晴らしい形に仕上げられています。


音も出してみました。
「ビーン」(に「ジーッ」という音が混じった)
と少し華やか目の芯と伸びのある音がします。
私の好きな
「主張しすぎない華やかさで、芯があり
輪郭の整った音」がします。

「すごい。素晴らしいね。」
スポンサーである妻も、形と音のよさに感動してくれました。

もう、フーチャンプルどころではありません。
ありえないくらいの速さでかき込んで食べ
「ちょっと公園に行ってきます。」
と三味線をもって、いそいそと公園に出かけて
夜遅くまで三味線を弾いて楽しんでしまいました。
by niraikanai76 | 2005-12-26 18:55 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

バイバイ沖縄

<ヤマト食堂>

照喜名三味線店を出て、私は首里城に行こうとしていました。
文化遺産好きの妻が「沖縄旅行では外せない」と言っていた
観光名所です。

でも、妻はホテルで静養中。
私一人で行ってしまっては、妻がかわいそうです。
「また、来たときに家族揃って行こう」
そう決めて、首里に向かっていた車を
そのまま恩納へ行き先変更して走らせます。

高速は「屋嘉~許田」間の大雨による落石警戒通行止め
もこの日には解除されていたのですが、私は下の道で
那覇から恩納まで帰ることにしました。
今日で沖縄の景色を見れるのは最後です。
ゆっくり、ホテルに帰るつもりです。

場所はよく覚えていないのですが
恩納村、ホテルムーンビーチの近く58号沿いに
「ヤマト食堂」はありました。
私達夫婦が沖縄に到着したその日の夕食を
この食堂で摂ったのですが
お店のこじんまりした感じと
店主のおばぁさんの素敵な笑顔、そして何より
おいしい料理が食べられて、私達は大満足でした。

初日に「また食べに来ます。」
とおばぁさんに言ったので、この沖縄旅行最終の夕食を
ぜひ、ここで食べようと思い、私は一人でまた来てみました。

お店の向かい側の駐車場に車を止めて
歩いてお店の前まで行きます。
お店は初日にきたときに比べて中の灯りが暗いように
感じました。
入り口左手はすぐカウンターになっていて、右側は
テーブル席と座敷が2・3づつだったと思います。

ドアを覗き込むと、カウンターで店主のおばぁさん
中年の男女が3人でお食事をされているようです。
「もう、終わりのじかんかなぁ。まぁいいや。挨拶だけして
他のところで食事をするか」
と思い、ドアを開けてみます。が、鍵が掛かっていました。

鍵の掛かったドアを引く「ガタン」という音におばぁさんが気付き
鍵を開けて出てきてくれました。

「あぁ、あんたね」
おばぁさん。あまり元気が無いようです。

「はい。明日、埼玉へ帰るものですから
最後の夕食をここで、と思っていたのですが
もう終わりのようですのでご挨拶だけ、と思って来ました。」

「昼間によ、店の看板出そうとしてひっくり返ってよ。
ほら、ここのコンクリート。これにつまづいた。
腕が切れて、病院行って縫ってきたんだよ。ほれ。」

と私に包帯でぐるぐる巻きになった右腕を見せます。

「これじゃあ、包丁握れんさ。
せっかく来てくれたのにねぇ。
今、息子夫婦が心配してきてくれたとこよ。」
と続けます。

「あぁ。それは大変でした。
ご飯が食べれないのは残念ですけど
帰る前におばぁさんにお会いできて良かったです。
でも、大丈夫なんですか?他には怪我は無いんですか?」
私は仕事柄、年配の方が転倒したと聞くと心配せずにはいられません。

「大丈夫。腕さえ治ればまた料理できるさ。
あんた。わざわざ来てくれたのに、済まないねぇ。」
とおばぁさんは申し訳なさそうに言います。

「良いんです。またおばぁさんの料理を食べるために
また沖縄に来ます。そのときは、また美味しいご飯をお願いします。
腕の怪我、くれぐれもお大事にしてください。」

そんな挨拶をして、食堂を後にします。
私が車に乗っても、走り出すそのときも
おばぁさんはずっと怪我をしていない左手を振り続けてくれました。
ハンドルを握りながら
「また来ます。また来ますよ。」
何度も心の中で言いました。

<どうする帰宅!?>

明けて翌日。
ホテルのチェックアウトは10時です。
那覇発の予約してあった飛行機は16時です。
旅行を予約したときには
「出来る限りギリギリまで沖縄で遊ぼう」
と考えていたことが、完全にアダとなりました。
この間の6時間をどうするか?

妻はつわりです。
外で過ごすわけにはいきませんし
匂いひとつで気分が悪くなるようです。
飲食店で安静に…というのも出来ません。

パック旅行ですから、飛行機を早めることも
どうやら出来ないようです。

私は考えた末、那覇空港に電話します。
「安静にしていられる部屋はありますか?妻がつわりで
気分が悪いんです。飛行機は16時なんですが」

「救護室をお使いください。
飛行機のお時間まで、いてくださって構いません」

お礼をいって電話を切ります。

すぐホテルをチェックアウトして車に乗り
那覇へ向かいます。

この日は快晴でした。
皮肉にも、最終日だけ快晴です。
58号に出ると、まばゆいばかりの
コバルトブルーの海が目に入ります。
「帰る日にこんなに天気がいいとはね。
きれいだねぇ。次は、この海で泳いでみたい」
妻が言います。

「今度は子供を連れて、三人で来よう。
そのときは、きっと天気がいいよ」

「そうだね」

もう、東京へ向かっていて
しかも妻は調子がすこぶる悪いのに
「最後にきれいな風景が見れて良かった」
そう思いました。

車は那覇へ。
レンタカーの事業所へ向かいます。
一週間、いろいろなところへ私を連れて行ってくれた
水色の日産キューブとも、いよいよお別れです。
事業所の係員に誘導されて、車を降りる前
ふと距離計に目を移します。

「999.8km」

なんと! 私は1週間の旅行で約1000kmを走破したことになります。
これには自分でも驚きでした。
水色のキューブに手を当てて「お疲れ様です」と心の中で言ったあと
妻を介助してレンタカー会社のバスに乗ります。

空港へ着くと、私だけ一目散にインフォメーションに向かいます。
「先ほど電話したものですが、救護所は使用可能でしょうか?」
「はい大丈夫です。こちらへ…」
と妻と一緒に救護所に入ります。
何日か前に漆畑さんと待ち合わせした空港内郵便局のすぐ横でした。

と、そこは学校の保健室に良く似ていました。
2台のベッドと、目隠しのパーテーション。
いすもありました。
妻をベッドに横にして、水を飲ませます。

妻が落ちいたころ、
私は急にお腹が空いてきました。
時間は午後二時です。

「ちょっと出てくるから。何かあったら携帯に電話して。」
と言い残し、空港内で昼食をとることにしました。
いろいろなお店があったのですが、私が選んだのは
沖縄料理店です。注文したのはもちろん「フーチャンプル」でした。
沖縄ではこればかり食べていた気がします。

そのあとは救護所に戻り
妻の横で搭乗手続きまで待ちます。

飛行機が離陸したとき
一応、座っていれば東京に行けることに安堵しました。
「バイバイ沖縄」

それからはもう、埼玉に帰るので必死でした。
ただ、飛行機から見えた富士山だけは今でも印象に残っています。

私は埼玉の所沢に住んでいます。
幸い、羽田からは所沢駅にリムジンバスが出ています。
電車と相当迷ったのですが、妻の希望でバスにしました。
渋滞するかと思いきや、なんと50分で所沢へ到着です。

駅から家まではタクシーです。
家に着くとすぐに妻を布団に横にします。

恩納から所沢まで。
それこそあっという間に帰ってきました。
気付いたら、家にいました。

<新婚旅行アゲイン>

新婚旅行、そして初めての沖縄で
・記録的豪雨
・妻のつわり
・結婚記念三線入手
・漆畑さんとのご対面

それこそ「こんな珍事があっていいのか!?」
ということがものすごく数多くありました。
いろんな意味で「一生の思い出に残る旅行」
となりました。

もう、調子の戻った妻は
「新婚旅行はもう一回行きたい。ほとんどホテルで寝てたから」
と言います。

もちろん、そのときはまた沖縄に行くでしょう。
今度は八重山にしようかな。

2005年沖縄新婚旅行、完
by niraikanai76 | 2005-12-26 17:56 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三味線店めぐり<番外編>照喜名三味線店 6月21日

私達の新婚旅行も今日と明日で終わりです。
思えば、そのほとんどの時間を妻はホテルで過ごしています。
私は、1人観光と三味線店めぐり。
「夫失格」の文字が…頭をよぎり…ませんでした。

さて、昨日デジカメを照喜名三味線店の作業場に忘れたので
取りに行かなくてはなりません。
デジカメを忘れていなくても、行ったでしょうけど。

今日の天気はまずまずです。
晴れの時間が、長いです。
こんな風景、妻にも見せたかったです。

まず、午前中にそのほかの三味線店を回ります。
「今回は、他で決めてしまいました。
せっかくお話を聞かせていただいたのに、どうもすみません。」
回ったお店全ては無理だったのですが
見て回ったお店何軒かに
こういうことを言って回りました。
行けなかったお店にも、電話でお礼をします。


そうこうするうちに時間はもう午後に。
遅い昼食を、またまた与那原のjefで食べます。
「ゴーヤーバーガー」
もちろん、美味しかったです。

<心震える三線>

佐敷郵便局に到着です。
今日は、訪問する気持ちにも余裕があります。
もう、三味線は決めてしまったのですから。

お店の入り口をのぞいて見ます。
お父さんの朝福さんは不在のようです。
いったんお店を出て、脇のスロープから作業場へ降ります。
降りている途中からかなりの音量で「てぃんさぐぬ花」が
作業場の中から聞こえてきました。

作業場の中には朝栄さんを含めて3人の男性がいます。
昨日はお休みだったのでしょうか。聞けば三味線作りのお弟子さん
のお2人だそうです。

「明日、埼玉へ帰ります。帰る前に、ご挨拶に来ました。」
「あ、明日帰るの。」
「あと…ここにカメラを忘れてしまって。申し訳ないです。」
と作業場の中を見渡します。
「これじゃないですか?」
若い方のお弟子さんが手渡してくださいました。
「あぁ、あった。良かった。すみません。」

「休憩な」
私が来たことで、作業場は休憩になってしまいました。
「気を使っていただかなくてもいいですよ。
挨拶と、カメラのことでお邪魔したんですから」
「いいさ。どうせ休憩時間だし。」
時計を見ると、午後三時でした。

一人のお弟子さんはお若い方で、京都から。
もうお一方は、沖縄の方だそうです。
「この人よ、昨日この三線注文したんだよ」
朝栄さんがお弟子さん2人に木を見せていました。
私も一緒に改めて原木を見てみます。

「この形から、どこを一番最初に削るんですか?」
「ここ」
と朝栄さんの指差す先は、まだ穴の開いていない
糸蔵の部分でした。
「こっちとこっち、交互に削っていくんだよ。
片一方ばかり削ると、バランスが悪くなる。」
とそれぞれ天とチマグを指差して教えてくれました。

せっかくお弟子さんがいるので
私はこんな意地悪な質問を若いお弟子さんにしてみました。
「先生の三味線は、やっぱりすごいですか?」
「オレがいたんじゃぁ、答えにくいよなぁ」と朝栄さんは笑います。

「いや。すごいですよ。自分のは、まだうわべだけです。
形を真似している段階ですから。形は真似していても、まだまだですし。
教えてもらったときに、『ここはこういう理由でこうなる』と教えてくださいます。
私は形を似せるので精一杯なんですけど、いろいろな工夫が三味線の中で
されていてそういう形になっているんだ。と気づくと、とてもすぐにはまねできない
ものだと気づくんです。」

「おめぇも、やり手になってからに」と
朝栄さんもお弟子さんの成長を喜んでおられるようです。

「あ、そうだ。あんた、棹を写真に取っておけばいいんじゃないか?
三線にしたら、もうこの姿は見れんよ」
と朝栄さんが提案してくださいました。

あ、そうか。この姿は、もう見れないんだ。
「はい。そうします。」
そそくさとデジカメを出して、作業台の上でパチリ。
と、この記事に画像添付しようと思ったのですが
容量オーバーで、無理でした。

「この棹と朝栄さんと一緒に撮影したいのですが…」
とお願いして、こちらはお弟子さんに撮影していただきました。

作業場の中でお話をうかがっていたのですが
「コーヒー淹れたから、飲んでって」
とうれしいお誘いをいただいて、お言葉に甘えさせていただきました。
朝栄さん、お弟子さん2人、私。と4人で作業場の外の
テーブルでコーヒーをいただきながら、三線談義です。

「朝栄さんを信じていないわけではないですが…
原木から三味線を作るっていうのは、なんだか不思議な気分ですね。」
私はこんなことを言ってみました。
「初めてでは、不安だろう。
でもよ、心震えるような三線にして送るから心配いらんさ」
頼もしいお言葉です。

話は、ミンサー織りのティーガーに。
沖縄出身のお弟子さん。民謡をどなたかに習われているようです。
朝栄さんも民謡の先生なのですが、どうやら朝栄さんが先生ではないようです。

お弟子さんが話し始めます。
「コンクールの時に。ミンサーのティーガー巻いた三線使ったのよ。
立って歌うコンクールよ。課題曲の最後の歌持ちを弾いてて
『もう、そろそろ終わりだなー』って思ったら、弾いていた三線が
腰からずり落ちて、ガタン。床に落ちたのよ。
コンクールは落選。弾いてる間もズルズルしていたけど。
もう、ミンサーのティーガーは二度と使わんさ」
と笑っていました。

考えてみれば、ティーガーもいろんな種類がありますもんね。

と、そこへ朝栄さんの奥様がいらっしゃいます。
「かりゆし娘、よろしくね」
私に名詞をくださいました。
さっきから、作業場のコンポから流れてきていた音楽は
この「かりゆし娘」の演奏で、今度CDデビューをされるんだとか。
さらに、この三人娘の方々は朝栄さんの民謡のお弟子さんなんだそうです。

三味線を作りながらも、このユニットのライブで
本土にも何度か行かれているそうです。


「あんた…」
と朝栄さんが切り出します。
「一度動いて(捻れて)また元に戻った木があるけど、
見せてあげようか」
と言います。
私が知っているのは
「一度棹がねじれたら、調整しないと元には戻らないはず」
ということです。

でも朝栄さんは
「一度動いて、放置しておいたらまた元に戻っていた。」
と言います。
見るからに普通の棹でした。
尾の方から、トゥーイを見せていただきましたが
言われなければ、捻れていたなどとは気付かないでしょう。

「考えてみたらよ。この木は根っこのほうの木なんだなぁ。
と思ってよ。」と朝栄さんはいいます。
根っこのほう。つまり水分の出入りが激しいということを教えていただきました。
寝かせている間にも、いろんな変化があって勉強になる。
とおっしゃっていました。

普通にお話させていただいているのですが
三線にまつわることのひとつひとつについて
大変一生懸命な職人さんだなぁ。
と感じました。

改めて、自分の注文した三線が出来上がるのが
楽しみになってきます。


まだまだ、いろんなお話を伺いたかったのですが
お弟子さんも含め、三人の方の作業が止まったままです。

名残り惜しいですが、この辺で失礼することにしました。

「私は明日、東京に帰ります。
三線、楽しみにしています。
よろしくお願いします。」
と挨拶しました。

「あんたは三線をやる人なんだから
沖縄に縁のある人なのだ。
うちで三味線も作ることになったし。
また、必ず遊びに来なさいよ」
と言っていただきました。

「はい。必ずまた来ます。
ありがとうございました。」

深々と頭を下げ、お礼を言って作業場を後にします。

自分の納得のいく職人さんに出会えて
三線も注文できて、何もかも無事に済んだのですが
心の中で、どこか三線を探していた昨日までの状態が
懐かしかったですし「もう、三線を探さなくていい」と
わかると、とたんに寂しくもありました。

佐敷郵便局の駐車場は
夕日に照らされて、土の匂いがしていました。
by niraikanai76 | 2005-12-23 21:07 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

那覇ぬ行ち戻い (なふぁぬいちむどぅい) 6月20日

漆畑さんに電話で三味線を購入したことを報告したあと。

車は那覇市内で相変わらず渋滞です。
「ここら辺が遊郭で有名だった旭橋かぁ」
などと、車外の風景を見ていました。

私の三味線購入が、あまりにも急だったので
自分自身、気持ちがついていかない部分も
正直ありました。
なかなか高額の買い物なのに
私が見たのは、削られた木材だけです。

「これで良かったのかどうか…」
と思いながら、さっき撮った写真を見ようと
ズボンのポケットの中、デジカメを探します。

「ん?ないぞ」
私はあわてて車の中も探しました。
どこにもデジカメがありません。

「…朝栄さんの作業場に忘れた。」

急に思い出しました。
佐敷のサトウキビ畑を散歩して、そこで写真を撮影してから
照喜名三味線店に行きました。
お父さんとお話させて頂いていたときには
しっかりと手に持っていたのは覚えています。
下の作業場で木を見せていただいている時に
作業場の台の上に何気なく置いたのも覚えていました。

「あぁ。困った」

もう、夜の7時近いです。
これからまた佐敷に…。なんて無理です。
だいいち、お店の営業時間の都合もあるでしょうし。

「しょうがない。また明日行くか。」

本当は少し嬉しかったのです。
また明日も、あの木が見れる。
今日は疑問をためておいて
また明日、三味線のことを教えていただこう。

<フーチャンプル>

途中から高速に乗り、恩納を目指します。
やはり屋嘉で降りたのですが、ホテルに帰るまでに
夕食を済ませなければなりません。

もう、名前も忘れてしまいましたが
58号線沿いの食堂に入りました。
頼んだのは「フーチャンプル」です。
ふわふわした麩と野菜が絶妙で、とてもおいしかったです。

今では、私も自宅でこの料理を好んで作ります。
沖縄料理では、1番好きです。

<妻に報告>

ホテルに帰り、妻に報告です。

「南部の照喜名さんというところでお願いしてきたよ」

私は、あまり嬉しかったのでしょう。
妻は横になりながら、話を聞いていました。

「で、デジカメを作業場に忘れてきたから。
また明日いくことになった」
「確信犯だなぁ(笑)」

妻の目には、そう映ったようです。

下の写真、私が三味線のことを考えながら歩いた
佐敷のサトウキビ畑です。
f0010549_19431466.jpg

by niraikanai76 | 2005-12-23 19:44 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三線メール

照喜名三味線店訪問記 下巻
照喜名三味線店訪問記 増刊号

照喜名三味線店での感動もそのままに
私は佐敷郵便局の駐車場に止めた車の中から
大阪へ帰られた漆畑さんにメールをしました。

「この三日間、夫婦共々何から何まで大変お世話になりました。ありがとうございました。三線ですが、「二ツ星小」と三味線店主が命名して下さった真壁型三線を手に入れることができました。詳しくはまた後で電話させていただきます。

これで朝栄さんとの約束は守ったぞ。
車を出して、那覇に向かいました。

旭橋のあたりで、渋滞に巻き込まれているとき
漆畑さんから返信が来ました。
「三線購入。早かったですね。きっと素晴らしい三味線でしょう。期待しています。」

いつもながら、冷静な文体でいらっしゃいます。

このあと、
改めて電話で詳細を報告したのでした。
by niraikanai76 | 2005-12-22 11:05 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三味線店めぐり⑭照喜名三味線店 増刊号 6月20日

下巻はこちら

<出会ってしまった>

「あんたの結婚祝いによ、これで三味線作ろうか」
と朝栄さんが引っ張り出してきてくれたのは
昨日「ナンバーワンの木」と朝栄さんが言っていた木です。
たしか少し予算オーバーなはず…と思い
改めて予算を伝えますが「結婚祝いと言っているのに、いいさいいさ」
と笑顔です。

朝栄さんの作る三線。
音も良いと思った。形も、かなり私好みだ。
朝栄さんの大変うれしい申し出でで、私は飛び上がって
喜びそうになった。ただ、ひとつのネックが…。
この木は「製作期間半年」だったはず。

「ご好意は大変うれしいです。
でも、期間が私には少し長いです。
もうちょっと、短期間でできる原木はありますか?
そういう木があれば、見比べてみて考えたいのですが」
私はあつかましくも、こんなことを言ってみました。

「う~んと…」
と朝栄さんは腰に手を当てて
梁から下げられている棹の列に目を凝らします。
作業場の入り口付近に向かって歩きながら、目を凝らしています。
「おっ!! これはみっけもんだぞ!!」
と小走りになり、一本の原木を手に取ります。
「これをよ、ずっとぶら下げていたの。忘れてたよ」
と笑います。

「ナンバーワンの木」は
「棹になる前の前の状態」だったはずです。
それからまた一歩棹の形に近づけて、また寝かせ
それから棹にすると聞いていました。
だから半年掛かるのです。

今、朝栄さんが手に取った原木は
「ナンバーワンの木」より棹の形に近づいていました。
「三線の棹になる前の状態だよ」
朝栄さんが教えてくれます。

「これなら、一ヶ月もあれば三線にして送れるさ。」

聞けば、この木はカミゲンで昭和40年代から寝かせてある。とのこと。
ナンバーワンの木と同じで、自分が荒削りしたのだから
良い三味線になることは、もう分かっている木だ。
と朝栄さんは説明してくれました。

「それなら、これで与那城を作ることもできますか?」
「いや、これはもう真壁にするために削ってある木だからユナーは無理さ。
ユナーが欲しいなら、あっちの木になる」
と「棹になる前の前の状態の木」を指差します。

「ユナーで半年待つか。真壁にするか。」
私は、しばし考えていました。

「今回はユナーにしたらどうか。迷うなら、欲しいほうにしたほうがいいよ」
と言ってくださいましたが、私の結論は「真壁でお願いします。」でした。
「今回はこれで真壁を作って、いずれユナーも作って
ミートゥンダ(夫婦)三味線にすればいいさ。」
と朝栄さんも言います。

私は、この34年間三味線を作ってきても
「まだまだだ」と思っているこの熱い職人さんを信じることにしました。

改めて、原木を見てみます。
棹のトゥーイのところに二つ、白い点があります。
歌口のすぐ下にも、そういう点がありました。
「これはシラタですか?」
朝栄さんに聞いてみました。
「いや、シラタでもないし鶉目でもない。
樹齢何百年。という古木にしか出ない点さ。
こういう点の入った三味線は良いのができる。
削っている時から、ワクワクしていた木よ」

「では、この木で三味線の製作をお願いします」
私の三線が決定しました。
あっけないです。話は淡々と進みます。
「胴は?どの木にするか?」
「どれが良いですか?」
「いろいろあるけど、チャーギでいいか?」
「はい。それでいいです」
「皮は、あまりパンパンに張らないけどいいか?」
「はい。お任せします。」
「この点々、出した方がいいと思うけど、透明な塗りでいいか?」
「はい、それでお願いします。」

こうして、私の「結婚記念三線」は誕生することになりました。

「この三線。二つ星小(沖縄方言で:たーちぶしぐゎー)
と名前付けたらいいさ。この点とこの点。
だから二つ星」
朝栄さんは私の三線に名前をつけてくれました。
とそこへ作業場の窓から、朝福さんがのぞきます。
「三味線は、どうか?」
「これで作るってよ」と朝栄さんがお父さんに
二つ星の木を手渡します。
「うん。上等上等。」
と笑顔です。

「ここの点よ。二つ星小。と名前付けたよ」
と朝栄さんがお父さんに説明していました。
三線を持つと、その見かけの特徴から「三つ星小」とか「四つ星小」
とか名前をつける人が多いという話を親子二人で私に説明してくださいました。

「漆畑にはよ、二つ星を見つけました。とだけ言いなさい。どこで買ったかも言わずよ。
そしたらあの三線好きはいてもたっても居られなくなるはずよ。
二つ星ってなんだ?って気になってよ」
と笑います。
「はい。そうします。」

三味線が決まって、めでたしめでたし。なのですが
いつまでも感動に浸ってお邪魔はできません。
漆畑さんと別れたのが午後三時半。それから佐敷に来て
随分とお邪魔しています。
もう、夕方の6時を過ぎていました。

改めて、原木を見てみます。
「これが自分の三線になるんだ」
感動を禁じえないまま、この老舗の親子三線工にお礼を言い
「よろしくお願いします。」と言って
代金を総額支払い、お店を出ます。

随分、三味線店を見て回ったわけですが
決まるときはあっけないものです。

お店を出た後、照喜名三味線店を前の駐在所前から見たり
何度も振り返ったりしながら
私はいろんな人に心の中で感謝していました。

佐敷のサトウキビ畑に夕日が差していました。
沖縄に来て、初の太陽です。
「漆畑さんと、妻に報告しよう」
すがすがしく、車に戻り恩名村を目指しました。
by niraikanai76 | 2005-12-22 01:52 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三味線店めぐり⑭照喜名三味線店 下巻 6月20日

<ウージ畑>

車は佐敷郵便局に到着した。
ここからは、一人での三味線店めぐりだ。

このまま、照喜名三味線店にお邪魔しても良かったのだが
私はお店と反対方向へ歩いていく。
車から見えた小学生の下校の列が
サトウキビ畑の真ん中の道を、歩いていました。

「面白そうだ」

と思い、
私もサトウキビ畑の真ん中の道を歩いてみたくなったのです。
思えば、私の住む埼玉県にはこんなきれいな風景はありません。
せっかく沖縄に来たのだから、こういう風景も
楽しみたいものです。

私より背の高いサトウキビに囲まれて
しばし私は立ち止まって考えていました。
「私は、考えすぎている」

三味線を買う。
それも、結婚の記念の三線。
確かに、自分の中では重大なことだ。
でも、きっと自分にとっての宝物との出会いは
きっと唐突に、思いもしない形で、あっさりとやってくる。
そんな風に信じていました。

サトウキビ畑で2枚写真を撮り
その足で照喜名三味線店へ向かいます。

<老舗のプライド>

まずは朝福さんの所へ挨拶です。
「お~。また来たの。もう一人は、どこへ行った?」

「あ、漆畑さんならもう大阪へ。先ほどお別れしました。」
「そうか。いつも、来たかと思うとすぐ帰る。」
店主は笑います。

「ここへ来る前に、あっちのサトウキビ畑を散歩してきました。
シュガーホールもありますし、きれいなところですよね。」

「佐敷は、良い所だよ。
でもね、戦争の頃は一面焼け野原さ。
わしはまだ子供だったけど
歩いていたら、近くに爆弾が落ちてよ。
ボーンと、ものすごい風に飛ばされて
そのまま壁にベタッと。何秒かして、べチャッと地面に落ちた。
まるで漫画のようだったよ」

また、三味線店主から戦争の話を聞いてしまいました。
でも、貴重なお話です。
こういう話をしてくれる人がいる。ということが
私のように「戦争知らず」の世代にはありがたいことなのです。

話は三味線に移ります。
「私は今回、沖縄に結婚記念の三線を探しに来ました」
と伝えると
「ほう、それは一大事だな」と笑顔です。
「でもよ、こんな良いサンシンヤーの中に居たら
わざわざ探す必要は無いだろう」
と笑います。

「そうですね。
照喜名さんの所は、三味線店をされて随分長いんですよね。」

「うん。長いねぇ。有名人のお客さんも増えた。
サンシンヤーとして認められるのは、大変なことだよ。
もう、50年以上になるけどね。これで良い。ということが無い。
三味線のことが分かれば分かるほど、修行が足りないと思うよ」

これは、音楽をやることもこうして職人さんであり続ける
ということも同じなのでしょう。
「これで良い」と思ってしまったが最後、それは自己満足でしか
なくなってしまう。という意味だと私は解釈しました。

「どれ、下に良い木があるか、見てくるか?」
店主は私に下の作業場で、朝栄さんに木を見せてもらうようにと
すすめてくださいました。

「では、ちょっと下にお邪魔してきます。」
と言い、一人でお店を出ます。


朝栄さんは、作業場でちょうど一休みされていました。
「お~。漆畑はどうした。」
「先ほど、帰られました。私一人です。」

「いつも突然来て、あっという間に帰っていくんだよ」
と朝栄さんは大笑いしています。
親子して、同じ感想を漏らしています。
私は笑いながら「お父さんも、同じことを言ってました。」
と伝えます。

「あ、これですけど。漆畑さんが渡すのを忘れたと言って、
私が代わりに届けに来ました。」
「ありがとう」

「それで、三味線は見つかったのか」
朝栄さんが私に聞きます。
「いえ。まだです。
妻にお金を出してもらい、結婚記念の三線を買おうとしているんですが
なかなか決心が付きません。」

改めて、作業場にある棹を見回します。
昨日来た時は、あまりの棹の数に圧倒されたのと
木材を主に見せていただいたこと。
それに本来お休みで、あまり時間が取れないことで
朝栄さんの作った棹を、マジマジと見せていただくことは
できなかったのです。

「朝栄さん。どれかひとつ、出来上がった棹を見せてください」
とお願いしてみます。
「おぉ。それなら、棹じゃなくて。三線があるよ。」
と作業場の入り口近くの棚から、完成品の三線を出して
見せてくれました。
「では、失礼します。」
と断り、真剣に見てみます。

カミゲンの棹が付いた真壁型でした。
「お客さんの注文の品で、完成して随分経つけどまだ取りに来ない」
とおっしゃいます。
改めてじっくり見てみると、朝栄さんの作った棹は
とても均整のとれたバランスの良い三味線に見えます。

許可を取って、音も出してみました。
「海ぬちんぼうら」の歌持ちを弾いてみます。
張りがあって、渋い音がします。
昨日弾かせていただいた、朝福さんの真壁の華やかな音とは
また違った音の種類ですが、とても深い音がします。余韻が長い。
そして、棹を伝わって音の振動がびりびりと左手に伝わります。

「芯の整った、伸びのある音がするだろう。
それにしても、なかなか上手だな。習ったのか?」
朝栄さんが言います。
「はい。ありがとうございます。
音も、とても良いと思います。三味線は、独学です。」

私が三味線店を見て回ってきた限り
「ふくよか系」と「シャープ系」(家電メーカーではないですよ)
にお店ごとの三味線の形は分かれるのではないか。と考えていました。

でも、今見ている朝栄さんの棹は
「シャープであるべき部分はシャープに。
ふくよかな部分はふくよかに」
とひとつの三線の中で、メリハリをつけて作られている
ような気がしました。
三線の中で躍動する様々な点と線。
私の目には、とても美しく見えました。

「形がとてもきれいですね。
私は、気に入りました。」
素直に感想を漏らします。

「三線の形っていうのは…」
朝栄さんが切り出します。
「意味があってそういう形がある。
三線として、必要な音を出すためにそういう形にしている。
音だけ良ければいいなら、形はいくらでも簡素にできるけど
そういう三線は、三線とは言えない。きれいな音と、きれいな形。
両方兼ね備えてこそ、良い三線になる。
どちらかが良ければ良い。というのは、手抜きだよ」

朝栄さんが、説明してくださいました。
このお店が三線の老舗として存在し得る理由は、ここにある。
と私は思いました。親子2人。とても職人としてのプライドが
高いのです。

「最近、親父がよ…、
おめぇ、やっと1人前になってきたなぁ。
というわけさ。三味線作って34年よ。
34年作ってやっと1人前だよ。でもよ、自分ではまだまだと思うわけさ」

私は、朝栄さんの話をただただうなずいて聞いていました。
by niraikanai76 | 2005-12-22 01:06 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)