唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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三線の不思議

いつから三線に興味を持ったのか…

大学のときに「国際安全保障」の講義を受けていた。
教授は高齢で、講義のほとんどを「沖縄戦~基地問題・日本の安全保障」
という今にして思えばかなり限定された範囲での、言ってしまえば「極端な安全保障論」だった気がする。ぜんぜん「国際」ではなかった(笑)

新学期から日を追うごとにどんどん受講者が講義に出てこなくなる中、自分はこの講義に欠かさず出席していた。サークルの時間にかかってしまう遅い時間の講義だったのに、サークルを犠牲にしてまで出席していた。サークルのためなら講義を平気で休む、下手すれば一日自主練習に明け暮れていた当時の自分を考えると、この講義への出席率の良さは
ちょっと異常である。

なぜ、皆勤に近い出席率だったのか。
単純です。講義が面白かったからです。
受講者が少なくてもこの教授はとても熱心なかたで沖縄戦当時の写真や映像資料、破損してしまった文化財の写真など、沖縄に関して少し詳しくなった今にして思えば「この先生しか持っていないんじゃないか?」というような講義材料を毎回持参して、見せてくれたのである。歴史・文化的史料好きのわたしにとっては大変面白い講義だった。

ある日の授業で教授が持参した写真に棒のようなものが写されていた。
「え~、これは沖縄の三味線。それの柄の部分です。沖縄の古いお墓から戦争の直後に発見されました。沖縄の人は、三味線を家宝にする人が多くいました。戦渦の中、逃げながらお墓に隠したんですね」と淡々と説明した。簡略して書いているが、そのときに教授は沖縄の三味線は胴やほかのパーツよりもこの「柄(棹)」の部分が一番大事にされているなどのマニアックな説明もされていた。(沖縄のお墓にどうやってそんなもの隠すのかは、ネットで沖縄のお墓を検索してみてください。きっと納得していただけるはずです。)

これに私は大変な衝撃を受けた。
「自分の命が危ないのに、どうして三味線なんか持って逃げるのか」
当時、私はモダンジャズ研究会に所属してベースを弾いていた。もし今、戦争になっていたら、正直ベースなんて長くて邪魔なものは真っ先に置き去りである。
沖縄の人がそこまでする理由は何なのか?また、沖縄の人にそこまでさせてしまう三味線には一体どんな魔力があるのか?
大学を卒業しても社会人になっても、楽器を嗜む者としてずっと疑問だった。

大学を卒業し、唄三線をするようになってから三線を持って教授にお会いして唄を披露してきました。ちょっと嬉しそうに笑いながら「まだまだじゃないか」
とつぶやいた横顔が忘れられないです。

…唄三線をするようになった今、その沖縄の人たちの気持ちは…正直まだ理解できません。
きっと、島に住み続けて代々唄三線をいろんな風景の中で見ていないと分からないんじゃないかと思っています。
by niraikanai76 | 2005-11-30 13:09 | 唄三線