唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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カテゴリ:唄三線( 101 )

思い入れ

「思い入れ」というと、歌に関して。のことだと思う方が多いのでしょうか。

私がこれから書くことは、「楽器に対して」なんです。
三線という楽器。

大学時代、私が受講していた安全保障の講義の教授は
沖縄ファンの方でした。
私が三線などにまだ興味も無いころ
「沖縄の人は、戦火の中でも三線と位牌だけは大切にした」
という話をこの教授から聞いたときには、驚いたものでした。

以来、自分で三線をやるまで
「どうしてたかが楽器。そんなに大事なんだ?」
ということが、頭の中から離れなかったわけですが
最近は少しだけ判ってきたような気がします。

三線は、生活に密着した楽器です。たぶん。
それは多くの場合、「沖縄においては」ということになるのでしょうが
県外に住む沖縄出身の方にとっても「生活の中の楽器」であると思うし
最近では、私もそうなのですが
沖縄出身者でなくても多くの愛好者がいると思いますし
「仕事が終わって、寝るまでの間」とか
「ちょっとテレビを見ながら」とか
気軽に「自分の相棒」として側に置いておくことができる楽器です。
これでも立派に「生活の中での楽器」だと思います。

しかも、使用方法も特殊。
「唄三線」なのですから、主役は自分の唄です。
三線は、伴奏です。
自分の唄を引き立たせるために、自分の手で三線を弾く。
こんなに「自分の中」で完結してしまう楽器も、珍しいと思います。

フォークギターの弾き語り。ピアノの弾き語り。
も、唄三線に近いのでしょうけど
「楽器で出来る音楽の幅」で比べれば、三線はこれらの楽器に比べて
ずいぶん不器用で未熟な楽器に思えます。(批判ではありません)
その分、三線を使って「出来ること」や「しっくり来る音楽」が限定されると思います。

「この楽器は自分にとって…」というエピソードなども
他の楽器に比べて、生まれやすいのではないかと。
そんなことを考えているわけです。
三線ほど、持ち主と密着しやすい楽器なのではないかと。

私はベースもやりますが、三線ほど楽器に対して愛着がありません。
いや、愛着はあるのですが三線ほど強烈ではありません。
自分の三線は、結婚記念に作っていただいたものです。
自分の結婚記念に、自分のために作られた2つとない楽器。
そこにはどんなことがあっても、手放しがたい。という思いが生まれます。
ある三味線店で見た棹の芯には
「○○還暦記念 ○○年○月」と刻印がされていました。
これも一生モノの、お宝でしょう。

生活の中で、大事にされてきた三線。
お祝いや祭りの中で活躍してきた三線。
その昔は、ひとつのステータスシンボルだった三線。
いろいろな人が、人生の節目に手に入れた三線。

三線という楽器には、物語が多いのではないでしょうか。
こういう楽器には、逆らい難い魅力があるのだと最近思っています。
by niraikanai76 | 2006-04-03 23:53 | 唄三線

春慶塗り・呂色仕上げ

「春慶塗り」  =スンチー塗り
「呂色仕上げ」=ロー上げ

と、それぞれ三線の世界では呼ばれているようです。
私の三線は一度塗り替えに出しています。

表面があまりピカピカとしないので
気に入っています。
「インターネットで「春慶塗り」を調べてみると、面白いですよ。」
と教えていただいたことがあるので、今日見てみました。

塗り替えのときに
「時間が経つと、塗りは変化する」と教えていただいたのですが
塗りに関するサイトにも、そのようなことが書いてありました。
漆器の場合ですと、一年くらいの期間はあえて使用せずに
「塗りの匂いを取り去る」とか「塗りを落ち着かせる」為に、
日陰の風通しの良いところに置いておくそうです。
ずいぶんシビアですよね。

とにかく、三線でも「塗りの経年変化」(色や表面の質感など)は
もう少し時間が経つと顕著に現れるのかもしれません。
まだ、塗り替えてから2ヶ月ですから。

ちなみに、私の三線は「塗り替えの跡」をうかがい知ることが出来ます。
言われなければ、本人か三線工の方くらいしか気付かないかもしれませんが…。
その「見て取れる部分」は、「糸蔵の中」です。
以前の塗りを、剥がした跡があります。

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by niraikanai76 | 2006-03-30 22:11 | 唄三線

その人そのもの。

「三線という楽器は、持っているその人そのものなんだよ」

こんなことを、飲みの席で教えてくださったのは
「とぅばらま家」で同席させていただいた「波照間さん」と
このお店のマスターと知念大工大好きさんです。

昔はオジィの三線を触ったら、えらく怒られた。
オジィは、とても三線を大事にしていたし
また、三線はそんなオジィ自身のアイデンティティーの源だったんだ、と。
そんな話もうかがいました。

その人そのものを表わす三線。
私も、自分の三線に見合うような演奏と歌ができるようになろう。
たくさん三線を触ろう。
そんな風に思いました。

三線と共に成長していく。
何だか、気分がいいかもしれません。

とぅばらま家で得たものは、楽しい唄三線の時間だけではありませんでした。
心地よい唄三線との関わり。
自分ひとりでは、得られませんでした。
by niraikanai76 | 2006-03-29 23:54 | 唄三線

本部町・波照間島・宮古島 <昨日の夜の事>

タイトルの場所に行ってきた。のではありません。
この三つの島や町に何の関連が??

昨日の夜。
私はずいぶん楽しい思いをさせて頂きました。
ことの始まりは「さんしんの松田」さんのHPです。
ここのトップページのリンクに「とぅばらま家」というお店のHPのリンクがあります。
どうやら、沖縄料理店のようです。
で、お店の住所を見てみるとビックリ!!
「秋津」とあります。

「え??あの秋津?」
私は信じられませんでした。
「さんしんの松田」さんは沖縄県宜野湾市にあります。
そのお店のリンクなのだから、当然沖縄県内のお店。だと思っていました。

私の中での「秋津」は、私の地元の所沢駅のひとつお隣の「秋津駅」です。
お店のHPの地図を見てみましたら、確かに「私の中での秋津」にお店はありました。
「そんな近所に沖縄料理店が?? しかも、三線を弾くお客さんも
来ておられるようだ。これは面白い。行かない手はない。」
と思った私は、三線を携えて昨夜このお店にお邪魔したのでした。

「とぅばらま家」
と命名されているこのお店。名前だけ見れば
「きっと八重山の人か、八重山ファンの本土の人が経営されておられるのだろう」
と少なからず思うはずである。

しかし…なんとこのお店のご主人は「宮古島出身」なのだ。

そんな店主の巧妙な(?)策にかかってしまって
今では常連さんとなられている「波照間さん」(愛称)という方が
来ておられた。波照間さんは、その名の通り「波照間島出身」である。

「いや~、とぅばらま家。と書いてあるから、当然八重山のお店だと思った。
だけど、こいつは実は宮古のひとなんだよ。知っていたら、お店には
来なかったね。私は宮古は嫌いだから(笑)。完全に騙されたよ(笑)」
と笑います。
店主は
「騙したんじゃねぇよ。コマセだよコマセ。で、それにあんたは
あっさりと掛ってしまったというわけさ(笑)」と笑います。
いや…それは騙しているんじゃ…。という感想は胸のうちにしまっておきました。

で、私がお店に入ったときに
一番に声を掛けてくださったのが
さんしんの松田さんの常連さんだという「知念大工大好き」さんでした。
もともとお知り合いだったわけではありません。
たまに覗かせていただいている「さんしんの松田さん」のBBSで
お名前は存じておりました。お店にお邪魔したときにはそのお方だなどとは知りません。
三線のケースを持った私に声を掛けてくださり
偶然にも、ご一緒させていただいた。というわけです。

私が昨年6月に「さんしんの松田」さんにお邪魔させていただいたときに
知念大工の三線が置いてありました。この時は売り物だったのですが
どうやらその後、このお方の「愛器」となったようです。
あいにくこの日は三線をお持ちでなかったようで
「知念大工の三線と9ヶ月ぶりに再会」ということにはなりませんでしたが
「あのときに、三線を触らせてもらいました」と挨拶です。
これはこれで、不思議な縁です。

「知念大工大好き」さんは、本部町のご出身。
沖縄にいらした頃は、三線などは「むしろ嫌いだった」とおっしゃいます。
ロックをやってこられ、ギターを弾きそして三線へ…。
「民謡はあまりやらない」とおっします。

私の三線で、沖縄のポップスを弾いて歌ってくださいました。
とても味のある演奏で、歌も素敵です。

この後、美味しいお酒と料理をいただきながら
私も唄三線をさせて頂きました。
波照間さんに「鷲ぬ鳥節」や「上り口説」を聴いていただきました。
「小学校のときに、踊ったよ。いや~、懐かしいねぇ」
私のへたくそな唄を聴いていただいて、感謝です。

波照間さんは、三線をお持ちです。
縞黒本皮の、とても良い味の音がしますし、良く鳴る楽器です。
が、今は練習しないのだそうです。

で、その三線。
この「とぅばらま家」の店内に常時掛けられて保管していただいているのだとか。
「自分は今は40才後半。50になったら島へ帰ろうかと思っている。
で、そのときにはこの三線を持って帰る。それまではここに掛けておいて
みんなに触ってもらいたいと思ってね。」
波照間島に帰るときには、ここでの思い出と一緒に。
たぶん、そういうことなのでしょう。

いくら「今すぐ弾かない三線」とはいえ
多くの人が出入りする沖縄料理店に
三線をキープ、とはこれまたすごい。
波照間さんが、このお店自体や店主、さらには
ここに集まるお客さんのことを愛しておられるのが良く分るようなお話です。

聞けば波照間さんは、島を出てからずいぶん長いそうです。
店主は宮古出身ですが、この波照間さんと店主の
「よく島へ帰るか?」という話を側で聞いていた私は、笑ってしまいました。
「島へ帰ろうとすると、島が動いちゃうんだなぁ。これが。
どこに島があるのかさっぱり分らん!!わはは!」です。

その後は、知念大工好きさんと私と。
交互に沖縄ポップスと民謡と、三線を橋渡しです。
この「とぅばらま家」は決して広くは無い店内です。
ですが、それがまた良い。お客さんも唄三線を聴いていないようで聴いてくださる。
「店内に三線と三線を弾く人がいるのは、自然なこと」
こういうさりげない雰囲気が漂っているのです。

驚くべきは、知念大工好きさんの娘さんです。
まだ9歳(10歳?)なのに、三板がとても上手です。
私の早弾きの民謡に、きちんと裏打ちのリズムで乗ってきてくれます。
決して「思い切りゆっくりに」に弾いていたわけではないのですが。
で、リズムがずれても修正して入りなおしてくれます。
「これ好きなの」と笑います。かわいいです。
将来が、たのしみですね。

そんなこんなで、店主の歌う「なりやまあやぐ」に
三線の伴奏をさせていただいたり
宮古や波照間島のお話をうかがったり。

さらに宮古出身のご夫婦がいらっしゃり、宮古島の話をうかがったりしました。
「綱引きのあとに東西で押し合いをするんだ。
で、このときには下から押し合うルールになっているんだよ。
上に乗っかったりしてはいけないのに、若いやつは上に乗りたがる。
これをカッコいいと思っているんだよ。
オレもやったさ。でもね、あとから先輩に思いっきり殴られるんだよ」
と笑います。

「俺らが若い頃の宮古では、おはようもこんばんはも無かった。」
これには驚きました。
え??宮古島は挨拶の言葉が無いのか??
「ンザンカイガ?(どこ行くの?)」「まいへ(前へ)」
昼夜の関係なく、方言でのこのやり取りが挨拶代わりだったと
このご夫婦は教えてくれました。

こんなふうに、唄三線をさせて頂き
美味しいお酒と料理と、島々のお話を聞かせていただいたりと
結局夜の8時から夜中の1時まで。
ずいぶんと楽しい思いをさせていただきました。

「とぅばらま家」の皆さんと昨日いらしていたお客さん。
どうもありがとうございました。
また、お邪魔させていただきます。

みかけはゴツくていかついけれど、笑顔とジョークが最高のマスターと
優しい息子さんのお店。雰囲気も最高です。
お客さんも、皆さん素敵です。
こんなに近所に、こんなに素敵な場所があったとは。
「灯台もと暗し」とはこのことです。

昨日は「昼間公園唄三線・夜はとぅばらま家で唄三線と飲み」
と三線三昧で遊んでしまいました。

「張水ぬクイチャー」や八重山の唄ももっと勉強しておくんだった!!
また、唄三線でやりたいことが増えてきました。
楽しみです。

「とぅばらま家」のHP
by niraikanai76 | 2006-03-28 13:29 | 唄三線

公園唄三線 3月27日

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私のホームグラウンドの公園は
私の実家から歩いて2分。ほとんど「家の真裏」という感じです。
写真は公園内の案内図です。
米軍基地の返還跡地に造成されたため、なかなか広大です。

この公園は、毎年の花見客も多いのですが
どうやら桜はまだまだのようでした。
所沢は、今の時点で「桜は見ごろ」の都内に比べて少し寒いのです。
それでも、控えめに咲いている桜の近くには
多くの人が。
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この桜の近辺で「唄三線を…」というのは、今日はやめにしておきました。
花見。というよりは、家族連れで憩いの時間を過ごされている方が多かったからです。
下手すると、唄三線が騒音になりかねません。

人の少ない場所を選んで、唄三線を始めました。
いつもと違う場所なので、ちょっと落ち着きませんでしたが
それでも30分ほどですぐに慣れます。

年配の女性が声を掛けてくださいました。
「良い音色ですねぇ。」

「ありがとうございます。沖縄音楽、お好きですか?」

「えぇ。沖縄には好きで良く行くんですよ。
その度に、三線って良いなぁ。と思うんだけど
楽器なんてやったこと無いから、なかなか踏み出せなくて。」

「三線は、たぶん簡単な楽器ですよ。
きっと弾けるようになるはずです。こういう本もありますから」
と「はじめての三線」を見ていただきました。

「良かったら、触って弾いてみませんか?」
女性に提案です。
「え!?良いんですか? でも壊れたりしたら…」
「いや。そんな簡単には壊れません。大丈夫です。」

と、ここで三線講座になってしまいました。
が、曲ではなく沖縄音階を弾いて頂きました。
女性もお喜びで、私も嬉しい。
息子さんがギターをやられているそうなので
運指などは、教えてもらえるでしょう。
で、「安里屋ゆんたお願いします」などとリクエストまで頂き
女性と一緒に歌わせてもらいました。

一緒に歌ってくださるのが女性ですから
今のままのチンダミですと、高すぎます。
チンダミを、この女性の声に合わせます。
私のへたくそな演奏でも、喜んでくださる。ありがたい。
この女性が、三線を始めてくれたら嬉しいです。

「いつもここにいらっしゃいますか?」
「はい。場所は違うかもしれませんが、休日には冬以外ならば
公園内のどこかにいると思います。必ずしも土日ではありませんが。」
「また、お邪魔するかもしれません」
「はい。いつでもどうぞ」
と、女性はここでお別れです。
また、練習に戻ります。

と、寒くなってきたなぁ。などと感じ始めた
午後2時半。
遠巻きに一人の青年が、私の方を見ています。
「う~ん。気になる。…気になるぞ。」
つかつかと、私の前まで歩いてきます。
「なんだなんだ??」

「あの~、その楽器。三線ですよね。」
「そうですけど。」
「実は、美術の学校を目指していて
絵を描いているのですが、その三線、
デッサンさせていただいてもよろしいですか?」

驚きました。
私も長く外三線をしていますが
「沖縄の唄を聞かせてくれ」
と言われたことはあっても
「三線の絵を、描かせてくれ」
と言われたことは、これが初めてです。

聞けば、近所にある高校の生徒さん。
こうして公園に通い、動植物や楽器や人や物のデッサンをしている。
とのことでした。
私は「嫌だ!」とは言わず、彼に三線をデッサンしてもらいました。
この公園は、私の唄三線以外にも管楽器や太鼓、声楽や演劇の練習
もちろん絵を描いている人も多くいます。
公園内で、芸術の勉強をする人たちは助け合う。暗黙のルールです。

デッサン中の、高校生です。
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三線の前で、約20分。
デッサンが出来上がりました。
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出来上がったデッサンを見て
彼は私にこういいました。
「楽器のデッサンは、曲線と直線の勉強になるのです。
この三線は、申し訳ないのですがあまり上手く描けませんでした。
胴の曲線が難しいです。今回は四角くなりすぎて、
普通の三味線のようになってしまいました。」

やはり絵を描く人の「モノを見る目」は違います。
普通の人は「三線と邦楽の三味線では、胴の形が違う」
というところまでは見ていないと思います。

絵を描くことが大の苦手な私から見れば
充分良く描けていると思います。
蛇皮の模様なども、ニュアンスが上手く出ています。
これからも、色んな物をどんどん描いて楽しんで欲しいです。
なるほど。そうか、曲線と直線。
これは三線作りでも、よく言われているよなぁ。などと感心。

でも、自分の楽器がこうして若い人の勉強に役立つのなら
これはこれで嬉しい。

と、高校生と話していると
先ほどまでの晴天が嘘のように曇りはじめ
風も出てきました。
午後12時から始めた外三線も、
約3時間で終了となりました。

今回は、時間内全てを練習に打ち込むことが出来ませんでしたが
三線を介して、2名の方と楽しませていただいたので
これはこれで満足です。

夜桜唄三線には、まだまだ早いかなぁ。
と思いながら、自転車をこいで帰りました。
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<本日の練習曲>
・鷲ぬ鳥節 ・伊計離り節 ・ヒンスー尾類小 ・海ぬちんぼぅら~赤山節
・時代の流れ ・ハリクヤマク ・嘉手久 ・いちゅび小節 
・仲順流れ ・安里屋ゆんた ・三村踊り節
by niraikanai76 | 2006-03-27 16:28 | 唄三線

酔狂歌人、大阪へ行く。④

<神戸>

翌朝10時、またまた恐縮にも漆畑さんが
宿泊先まで迎えに来てくださいました。

行き先は神戸。
新長田というところにある
「琉球ワールド」です。
神戸へ向かう車中も「三線の話」をたくさんうかがいました。
気になっていた「チーガの重さ」についてもうかがいましたが
「やはり音が劇的に変わるのは、皮張りでしょうね」とのことだった。
やっぱりそうなのだろう。

ベトナム産やタイ産の皮についてもうかがったが、
やはり大事なのは
「その棹に、その皮は合っているのかどうかである」ということを聞かせていただいた。
我々のような素人は、皮の産地でだけで音の判断は出来ない。
皮の見かけがどうか。ということだけである。
産地よりも皮の厚さ薄さ、更にはそれを棹とバランスをとりながら
考えて三線が作られているかどうか。ここら辺が音作りにおいては大切らしい。

目的地に到着する。
琉球ワールドは、かなり広い。
焼き物から泡盛。
お土産品や書籍など
ありとあらゆる「沖縄のモノ」が売られていました。
その一角には「三味線店」も。
ここの三味線店は、こじんまりしていました。
私は、そろそろストックが足りなくなってきている「チル」を
3セット購入。

と、思いがけない張り紙を発見。
「照喜名朝榮」「かりゆし娘」などと書かれていた。
張り紙には紹介文も書かれている。
後から漆畑さんに聞いたのですが
どうやらここで朝榮さんと「かりゆし娘さん」が
ライブをされたそうです。なるほど、それで。

広い売り場内を見て周っていると
知らない間に時間はお昼です。
売り場内に併設された沖縄料理店でお昼です。
私は「フーチャンプル」を注文。
これも美味しかった。

食事の後、最寄の新長田の駅まで送っていただき
いよいよこれでお別れとなります。

たった一泊二日の大坂旅でしたが
私には大満足の旅となりました。
こうして大満足で旅を終えることが出来たのも、漆畑さんのお気遣いによるものである。
さらに、大阪でお会いさせていただきました皆様の温かい心のお陰であると思っています。
漆畑さんとそのご家族様・takarinさん・takarinさんの奥様・hiroさん・Mさん
そして、大坂の名前も知らぬ方々。本当に感謝しております。
どうもありがとうございました。

「大変お世話になり、ありがとうございました。」とお礼を言います。
「次回は、ご家族で是非大坂へどうぞ」
と嬉しいお言葉をいただき、漆畑さんの運転する車は
新長田の駅を走り去りました。

…さて。
新長田…か。ここがどこなのか、さっぱり分からんぞ。
電車は…、確か漆畑さんがざっと教えてくださった。
でも、良く分らんなぁ…。
と、そこへ2人連れの年配の女性が。
すかさず「東京へ帰るのですが、新大阪はどうやって行けばいいですか」
と尋ねてみる。

「三宮か、神戸で快速に乗り換えると速いと思うわ。
そっか、東京にねぇ。都会人やね(笑)。まぁ兄ちゃん、気ぃつけてや」
と丁寧に教えてくださった。

思っていたよりも早く、新大阪駅に到着。
新幹線の発車までには1時間半ほど時間があった。
お土産などを物色して、時間をつぶす。
東京とは違う売り物を見て歩き、あっという間に新幹線の時間となる。

バイバイ大坂!!

<名古屋と富士山>

新大阪・京都と新幹線は進み、
再び「名古屋」へ。
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私が子供の頃には無かった「ツインタワー」がそびえます。
正式名称は「JRセントラルタワーズ」だそうです。
名古屋も立派になったなぁ。

さらに、懐かしい看板を発見。
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名鉄百貨店。もう今は亡き祖母に連れられて、よく買い物に行ったところだ。
田舎の「西尾駅」から、四両の真っ赤な名鉄(当時は床が板敷きだった)に揺られ
祖母と名古屋へ。懐かしい思い出だ。
祖母は長唄が趣味だった。三味線も持っていた。(もちろん「和三味線」)
祖母が亡くなってから、私は沖縄民謡をやり始めたのだ。
生きているうちに、私の沖縄民謡を聞いてもらいたかったなぁ。

と、感傷に浸っているうちに
新幹線は静岡県へ突入。
静岡・新幹線・天気は晴れ。とくればもう「富士山」しかない。
車中から、富士山を撮影。
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私は以前「紙関係」の仕事をしていたことがある。
富士山近辺の「三島」「新富士」などが「製紙会社の工場が多い」というのは
知っていた。
だからこそ、この写真である。
トップスピードで疾走する新幹線の車中からの撮影で
富士山と共にこの看板をカメラに収められたのは「奇跡に近い」と自分でも思った。

大坂での写真は、全く無いのに
こういうところだけは、外さない。


<旅の思い出>

「大坂で、何か食べたいものはありますか?」
「う~ん…、では大坂でオススメの食べ物は何ですか?」
「え~…、ありません!!」

こんなやり取りがあったから。というのが原因ではないでしょうが
大坂に行って泡盛ばかり飲み、ティビチをご馳走になり
民謡酒場へ行ってフーイリチーをと山羊の刺身を食べ
沖縄物産展で歩き回り、フーチャンプルーを食べ
あとは三味線店と漆畑さんのご自宅で三線を拝見させていただいた私。

職場や家族へのお土産を除けば
自分が大坂から持ち帰ったものは
「購入した三線の弦3セット」
「漆畑さんから頂いた、息子の誕生祝の泡盛とお土産の山羊汁レトルト」
行きも持っていた、自分の三線
だった。

荷物だけ見たら「一体どこへ行ってきたのだ」という感じだが
これで私は大満足だった。
このために大坂まで来たのである。
東京駅に降り立った私は
何だか「電車に乗って沖縄まで行った。」ような
錯覚を覚えた。

温かい人情に触れ
生きた沖縄民謡に触れ
素晴らしい三線と美味しいお酒と料理。

今までに無いくらい、楽しい旅となりました。

漆畑さんをはじめ
大坂の皆様。ありがとうございました!!
とても、楽しい思い出を頂きました。

                        酔狂歌人、大阪へ行く。シリーズ完。
by niraikanai76 | 2006-03-23 18:31 | 唄三線

酔狂歌人、大阪へ行く。③

<三線アゲイン>

漆畑さんのご自宅近くのレストランで早い夕食です。
その後、再びご自宅にお邪魔させていただいて
三線を拝見させていただきました。

私が興味を持ったのが
「漆畑さんの初代三線」です。
この三線。1978年に、照喜名三味線店で購入されたそうです。
今から、28年前です。
漆畑さんが照喜名三味線店の店主さん(お父さん)に
「これはいついつ購入したのですが、息子さん(朝榮さん)が作られたのですか?」
と以前尋ねられたことがあるそうです。
で、店主さんの回答は「その頃ならば、おそらく息子のだろう」
だったそうです。
あくまでも「おそらく」ということでお話を進めます。

私の三線も照喜名朝榮さんに作っていただきました。
…ということは、1978年製と2005年製の
おそらく同じ職人さんが作ったであろう2艇の三線を
それぞれ見比べることが出来るわけです。

で、見比べてみると…
私の三線の方が、「顔」と呼ばれる部分の両サイドが少し絞られたような
形をしており、シャープな印象を受けます。
漆畑さんの真壁の方は、私の三線のように顔の両サイドは絞られておらず
繊細で優しい印象を受けました。
どっちが良い悪いという話ではなく、
このように同じ作者(ひょっとしたらちがうかもしれません。でも同じ三味線店です。)
の三線でも製作された年代が大きく違うと、形も少しですが違う。というお話です。


<民謡酒場 でいご>

大阪市大正区。
ここにこの民謡酒場は、あった。
ガラガラと漆畑さんがお店のドアを開けると
そこはもう満員状態。
あとでうかがったのだが、この日はこのお店で
「おじいちゃんの90歳のお祝い」で来られているご家族がいた。
このお店のキャパを考えれば、ほとんど「団体客」である。

私達がお店に入ったときには
年配の男性が、ステージ上で「ヒンスー尾類小」
を歌っていらっしゃった。見事な唄である。
ボーっと聞きほれてしまう。

これも後で店主にうかがったのだが、
実はこのステージ上の人は沖縄民謡のCDにも名前が載っていたり
民謡の曲を作詞されておられるようなすごい人なのであった。

その後、この方はステージ上で
「ナークニー~山原汀間当」や
早弾きの曲を連発。お客さんはみな踊っていた。
泡盛と、食べ物は山羊の刺身とフーイリチーを注文。美味しかった。

さらに、店主が登場。
太鼓の前に陣取り、バチを手にしていた。
「見ていてください。すごい太鼓を叩きますよ」
と漆畑さんが教えてくださる。

店主の太鼓は、それはすごかった。
所々でバチできめのポーズを入れている。
さらに、リズム感がすごい。まるでジャズドラマーである。
さらに…ものすごい勢いで叩く叩く! 締大鼓が壊れるのではないかと思った。
見事に音と視覚で、お客さんにもアピール。そして何より、唄三線を華やかに彩っていた。

と、さらに「90歳祝」の主賓であるおじいさんが登場。
なんと他のお客さんと2人で「かじゃでぃ風節」の地方をされた。
踊り手は女性二人。おじいさんのご家族のようだ。
素晴らしい「かじゃでぃ風節」である。
かくしゃくとしておられ、味のある演奏だった。
今は「沖縄のおじいさん」よりも「大坂にいらっしゃる沖縄出身のおじいさん」
の方が元気なのかもしれない。など考えさせられてしまう。

その後、店主の依頼で漆畑さんがステージに。
店主は「とぅばらーまお願いしますよ」と声をかけている。
この漆畑さんの「とぅばらーま」。最高である。
その後、また店主に請われて「小浜節」を歌われた。
後から漆畑さんは「ここで、八重山はなぁ…」と
おっしゃっておられましたが、私はとても良い唄を聞かせていただき
大変嬉しかった。
他のお客さんも「あんた八重山の人でしょ?」
などと漆畑さんに尋ねておられた。
それだけ、周囲の人に印象付ける唄だった。

その後も店主ご自身の演奏や他のお客さん、
さらにはお弟子さんでしょうか、若い女性の方(女の子。というような年齢に見えました。)
などの演奏で「谷茶前~伊計離り節」「加那よ」など。女性のお客さんの舞踊付きである。
ずいぶん楽しい思いをさせていただきました。

ここで、私は大変貴重なことを勉強した。
人に聞かせる歌。楽しませる唄。
そんな唄は、たぶん「フレッシュな唄」だと思うのだ。
実際、ここの民謡酒場に流れていた民謡は全て「生きた唄」である。

練習や自分ひとりでやる唄。
これは「生きた唄」を人前でやるには避けて通れない「練習」ではあるけれども
あまり「フレッシュ」ではないような気がする。

ステージで、楽しい思いをするためには「練習」は避けて通れないだろう。
しかし、練習ばかりしていても何だかバランスが悪いような気がするのだ。
昔ベースの師匠に言われたのは
「一週間の自宅練習よりも、一度のライブの方がはるかに勉強になる」
というものだった。
「勉強になる」ということを除いても、やはりライブは楽しい。
「楽しい」。それがいつだって、一番なのだ。

ベースをしていたときには、バンド仲間がいた。ライブがあった。
「一人で練習していると、行き詰る」ということも、あまりなかった気がする。
この時期には音楽との接し方において、バランスが取れていたんだなぁ。
と、今になって気付いた次第だ。

唄三線を始めて2年半と少し。
これからは「いかにして人前で披露して、自分の楽しみを広げていくか」
ということが課題になりそうである。

この民謡酒場に来て
「自分も楽しく、他人も楽しめる民謡」
というのがどういうものか、少し知ることが出来た。
大きな収穫である。

恐縮にも漆畑さんに宿泊先まで送っていただき、
大坂の夜はふけていった。
by niraikanai76 | 2006-03-21 22:40 | 唄三線

酔狂歌人、大阪へ行く②

<三味線店めぐり② とぅるるんてん>

「とぅるるんてん」
というのは変わった名前である。
佐々忠さんからは、漆畑さんの車に乗せていただき
このお店まで移動、ということになったのだが
大坂の地理を知らない私は、位置関係や距離がちんぷんかんぷん。

お店に着く。
実にこじんまりしたお店ではあるものの、
CDや小物も置いてあり、自分の家の近所にあれば
間違いなく重宝するお店であろう。

前述した佐々忠さんも、この店も
どことなく東京にある三味線店とは様子が違う。
それはたぶん
「どれだけ沖縄と密着している地域か」
ということが影響するのだろう。

ここ大坂は(の中でも特定の地域は)
沖縄出身の方が多いと聞く。
民謡酒場なども多いらしい。
そういう場所にある三味線店は、なんとなく様子が違う。
「三線を楽しむ人が欲しがりそうなもの」
が置いてあるような気がするのだ。
ニーズに合わせて。というべきか。

<偶然>

このお店にお邪魔しているときに
信じられないことがあった。
お店の中には、お一人男性の先客が。
漆畑さんがお店に入られて、三線を見て…
その男性も漆畑さんも一瞬、動きが止まった後
お互いに「あぁ~!」と。
どうやら、お知り合いのようである。

こちらの方、琉球古典をされる「hiroさん」です。
漆畑さんが、hiroさんに私の事を紹介してくださり
「これから私の家にお連れする予定なのですが
hiroさんもいかがですか?」とたずねておられる。
…とhiroさん合流決定です。

そこへ漆畑さんの携帯が鳴ります。
「わかりました。そこらへんまで、行きますので」
こちらはtakarinさんからのお電話。
実はこのブログへのコメントを発端に、takarinさんから私が大坂に行く前に
メールを頂いておりました。
そこでお会いさせていただくお約束をさせていただいたのですが
ちょうどこの日、takainさんはお忙しかったようです。
お昼と、夜の用事がおありとのことで、その間隙を縫った形での
初対面をさせていただきました。お忙しいのに、恐縮です。
で、そのコーディネイトをこれまた恐縮にも漆畑さんにお願いさせて
頂いていたのです。

皆さんにお気遣い頂き、私の望みが実現です。
ありがとうございます。

で、打ち合わせの場所まで漆畑さん・hiroさん・私の3名が
漆畑さんの車で向かいます。
その場所に行ってみると…。
takarinさん・奥様・Mさんと三名の方が。
計六名で漆畑さんのお宅にお邪魔させていただきました。


<泡盛・三線・ティビチ>

漆畑さんのお宅に着くと…。
早速、私の三線を見ていただきました。
takarinさんが私の三線で「鷲ぬ鳥節」を歌ってくださいました。
私も何気なく見ていたのですが、内心はもう感動です。
皆さんの会話を邪魔しないよう、ささやかに演奏してくださいましたが
私はこれが嬉しかった!! 感謝感激、光栄です。

そして話は私の三線へ。
ありがたいことに皆さんに触っていただきました。
どうやら、私の三線は皮が薄いらしい。そして張りもそんなに強くない。
それでも皆さん一様に「良く鳴ると思う。」と言って下さいました。
takarinさんは
「普通は、皮が薄くて張りが弱いともっとポコポコした音になるよ。
でもこの三線はきちんと鳴ってる。棹の影響が大きいんじゃないかな。
この棹に合わせるべくして、この皮を張ってくれてると思うよ。
良く考えて作ってくださってると思うよ。」
漆畑さんは
「民謡向きですね。いい棹だと思いますし、鳴る三線だと思います。」
とそれぞれ言って下さいました。

さらに、漆畑さん所有の三線も触らせていただきます。
実は今お宅にある三線は、6月にほとんど琉球大学で触らせていただいています。
が、前記事でもお話しましたように6月の時点では私の「三線を見る目」は
今以上にありませんでした。自分の三線に見慣れた今回は
少し見方が違います。六線を含めて5挺。どれも素晴らしい三線です。

ご自分で「擦り漆」で塗られたものも拝見。
塗られているけれど、塗られていないような…。
なかなか面白い塗りでした。

チーガの重さが違うのには驚きました。
ある黒木の真壁型は、とんでもなく三線が重いです(私のに比べて)
「これはものすごく重い三線ですね」
「はい。それは胴が重いのです。」
うん。確かに。胴の方が重たいです。
漆畑さんが教えてくださいました。
「胴が重いほうが良く鳴る。という三味線店もありますし
胴が軽い方が良く鳴る。という三味線店もあります。
胴の重さで少しは音も変わると思いますが、それは三味線店がそれぞれ
どんな音を目指しているのか。によっても変わるのでしょうね。」

三味線店の考え方が、完成された三味線に特徴として現れる。ということですね。

そうこうしている間にも泡盛を出していただき、味わわせて頂きました。
ご自宅で育てておられる泡盛から、瓶詰めのものまで。
小さいお猪口で頂いていたのですが、これが「ちょっと味見を・・・」
というのを繰り返しているうちに、飲んでいる量が分らなくなります。
結構飲ませていただいたと思います。どれも美味しいお酒です。
さらに、そこへティビチが登場。
贅沢な酒席です。

漆畑さんが押入れから人工皮の張ってある胴を出してこられました。
「これは人工皮とチーガだけを購入しました。」
と言って見せてくださいます。
重さを感じて持ったりひっくり返したりしていると…
takarinさんが私の三線を指差して
「この三線にこの人工皮の胴。付かんかなぁ」
とおっしゃいます。
もし付いたら面白い!と思い、早速試させていただきます。
グラグラしていますが、棹には装着できました。音も出ます。
本来の私の三線の胴に比べて硬くて華やかな音がします。
一瞬「良いかもしれない」と思ったときに、漆畑さんが
「でもやはりこの音はすぐに飽きるでしょうね。
黒木に人工皮というのは、あまり良い組み合わせではないかもしれません」
と教えてくださいました。

再び話は泡盛や島の酒造所の話へ…。

そんなこんなでお時間の夕方になりました。
皆さん夜に別の予定がおありのようです。
楽しい集まりでしたが、ここでお開きとなりました。

<解散>

takarinさんご夫婦、Mさんが先に車を降りられました。
「お会いできて良かったです。またいつかお会いしましょう」
こんな言葉を私に掛けてくださいました。ありがたいことです。

さらに別の場所で…
hiroさんが降りられます。

「と…この後はどうしましょうか」
「そうですねぇ。もう一度、三味線を見せていただいてもよろしいでしょうか」
と勝手なお願いをしたので、漆畑さんのご自宅方面へ引き返します。

初めての大坂で、皆さんにお会いさせていただくのも初めて。
それでもこんなに楽しませて頂くことが出来たのは「三線」という
共通点があるからでしょう。嬉しいことです。

                              酔狂歌人、大阪へ行く③ に続く
by niraikanai76 | 2006-03-21 00:18 | 唄三線

酔狂歌人、大阪へ行く。①

<新幹線>

3月19日、午前8時。
私は東京駅新幹線のプラットホーム上にいた。
大阪へ向かうべく、新幹線を待つ。

新幹線なんて、何年ぶりだろうか。
私事だが、私の生まれ故郷は愛知県の西尾市というところである。
小さい頃から、中学生の頃くらいまでは
両親と共に、新幹線に乗って祖父祖母に会いに
年二回名古屋まで行っていた。

まだ小さい頃、年二回の新幹線は
またとない私の楽しみだった。

自動車の免許を取ってからは
愛知に行くにも車で行くようになったので
新幹線などはずいぶんご無沙汰である。
心は童心に返り、なんだかわくわくする。

駅弁は入手済みだ。
これは旅には欠かせない。
これを食べるために、私は朝食を食べなかった。

と、ホームに新幹線が滑り込んでくる。
「!!」。なんだ?このカモノハシみたいな先頭は!
「昔の新幹線の方が良かったなぁ」
などと思いながら、乗り込む。
ちなみに、私が子供の頃は
新幹線の中に独特の紙コップを使用する水のみ場(?)があったり、
旅らしいプラスチック容器のお茶が売られていたりした。
さらに、強烈に硬くて木のスプーンが必ず破壊されるアイスクリームが
私は大好きだった。

新幹線が発車するまでお弁当には手をつけない。
これは私の子供の頃からのこだわりである。
列車が走り出してから、車窓を眺めながら食べると美味しい。

浜松を過ぎ、見慣れた光景が車窓に広がる。
工場の看板だろうか。「六ッ美」の文字が。
「むつみ?ということは岡崎か。(愛知県岡崎市)」
などと考える。
「お!矢作川を通過。」
「お、あれは八面山(やつおもてやま)」(愛知県西尾市)
などと、故郷の風景を眺める。が、あっという間に高速で後ろに過ぎ去る。

ほどなく新幹線は「名古屋」に到着。
私は急にそわそわしだした。
今までの私の人生では「新幹線での目的地」といえば
この「名古屋」である。しかも故郷。
ここを素通りするのは、なんだか落ち着かない。
しかし今回の目的地は「新大阪」である。

見慣れない光景を見ながら京都を過ぎて
「東寺はやはり良いよな」なんて考えていたら
程なく新大阪へ到着した。雨が降っていた。
周りには関西弁の嵐。やはり東京とは違う。


<再会>

「野田駅」
漆畑さんが待ち合わせに指定してくださった駅である。
私が「大阪の三味線店も見てみたいです」と申し出たことから
三味線店の最寄り駅まで車で迎えに来てくださった。恐縮である。
しかし、私は大阪の地理を知らない。
無責任にも、あまり調べることもしない。
どこか知らない土地へ行くときには、いつも人に尋ねながら行動する。
今回もその方法は功を奏した。

「あのすみません、大阪駅へは…」
「あぁ、その階段下りて電車で一駅でっせ」

「あのすみません、野田駅へは…」
「あぁ、あのホームから2駅目」

こんな調子で乗り継ぎも順調。
ほどなく野田駅に到着。
改札口には懐かしい顔が、
漆畑さんとの9ヶ月ぶりに再会である。

この後は野田駅の近くのお店でお昼にした。
食事をしながら、6月の三味線店めぐりの回想や
今、私が使っている三味線の話。
「いや~、それにしてもよくこの三線の棹が見つかりましたねぇ。
照喜名さんは忘れてたんですか?この棹を荒削りしたのを。」
「えぇ。忘れていたらしいですよ。
私が何か無いですか。と言ったので、そういう棹を探している最中に思い出したらしいです。」
「はは。作っている本人が寝かせている棹の存在を忘れるというのもすごいですね。」
その他の三味線店のお話なども。
とても楽しく、話が尽きない。


<三味線店めぐり① 三味線の店 佐々忠>

野田駅から程近いところに、そのお店はあった。
看板の様子が少し変だ。というのは漆畑さんが教えてくださった。
ここのお店の店主は、元々建築関係のお仕事をされていたそうだ。(今もかな?)
その事務所の隣が、三味線店。なので工務店の看板と三味線店の看板が
合わさったような形をしている。

お店の中へお邪魔する。
お店の中には、女性がお一人。
店主は今はいないらしい、ということは店主からはお話はうかがえないかも。
漆畑さんは地元の人なので
何度か来店されているのだろう、お店の方とお話をされている。
私は店内を見回し、天井からさげられた棹やお店ののガラスケースの中の
三線を見てまわる。

奥のガラスケースには、三線を作った職人さんの名前があった。
私も聞き覚えのある名前だ。
那覇の国際通り至近の安里の三味線店「仲嶺三味線店」。
そこの店主のお父さんが浦添市で同じく「仲嶺三味線店」を営まれているそうだ。
その「お父さんの方の三味線店」の作品が置かれていた。
お父さんのお店には、6月には時間の都合で行けなかったので
ここ、大阪で見ることが出来て光栄である。
真壁型数挺と、知念大工一本。
キリッとしたきれいな三味線だった。
息子さんの作られた知念大工は、6月に那覇で見せていただいた。
その知念大工の形を一生懸命頭の中で思い出して、比べてみる。
う~ん、やはり親子とはいえ違う人が作るとなんとなく違うなぁ。
などと思った。

余談だが、この「仲嶺さん」。
私は一度電話でお父さんの方に問い合わせをしている。
そのとき、私があまりにかしこまりすぎた「営業風トーク」だったためか
「お忙しいところすみません。仲嶺さんでいらっしゃいますか」
と言ったとたんに、電話営業と勘違いされたらしく、いきなり
「そういうのはいらん!!」と(実際には、方言で)怒られて電話を切られてしまった。
誤解の無いように付け加えるが
その後、またすぐに電話をかけて事情を説明すると
勘違いを謝して頂いたうえ、とても丁寧に教えてくださった。
「沖縄に来る前に、また電話くれれば木を用意しておくよ」
とまで言ってくださったお優しい方である。

この話を昨年の6月に那覇のお店で息子さんの方と、
そのお店でお仕事をされていらっしゃる
お若い職人さんに笑いのネタとしてお話させていただくと、大爆笑であった。
お二人とも「やりそうやりそう!!」と、大喜びしてくださった。
「笑いすぎて、腹がよじれるよ」と、板敷きの作業場で大笑い。である。
「そういう天然な所もあるんですが、良い親父なんですよ。勘弁してやってください」
と父のフォローをされるこの息子さんも、本当に優しくて良い人なのだ。

おっと、佐々忠さんのお話である。
ガラスケースの中だけでなく、天井から吊るされた棹も
見せていただいた。

私が沖縄の三味線店を見てまわったのが去年の6月。
この時点では「三線を探している」という状態であったので
見るだけではなかなか分らないところもあった。(今も大して変わらないが…)

今は自分の三線を手に入れて数ヶ月が経った。
その自分の三線がある意味「自分の中での基準」にもなってきている。
こういう状態になると、少しは他の三線を見る目も変わるようだ。
お店の中で色々見せていただき(手には取らなかった。)
木の色や形を見る。楽しい。

漆畑さんからこんなお話をうかがった。
「このお店では、唄三線の会(練習)をする場所があるんです。
ここで集まって皆さん練習をされると。こういうわけでして」

三味線店として三味線を販売するだけではなくて
「唄三線をする場所」「唄三線を愛好される方のコミュニティーの場」
として大きく機能しているところが素晴らしい。
こういうお店があると、地元の唄三線愛好者としてはありがたいところだろう。
店主にはお会いできなかったので、細かな会や組織のシステムは知らないが
お店のこういう「場を提供する精神」が素晴らしいと思った。

漆畑さんと私とが店内を見ている間に女性がお一人。
何やらお店のカウンターで用紙に記入されている。
「コンクールですか。がんばってください、合格をお祈りいたします。」
漆畑さんがその女性に声を掛けていらっしゃった。
お優しい方である。
この女性はお店で行われる会の練習生の方であろうか。
お店でコンクールの申し込みも受け付けているらしい。

埼玉にも、こういうお店があると最高だなぁ。
などと思いつつ、お礼を言ってお店を後にした。



                             「酔狂歌人、大阪へ行く②」に続く
by niraikanai76 | 2006-03-20 21:42 | 唄三線

本部ナークニー

本部町。
沖縄に行ったときの記憶が、まだ残っています。
自然も多く、とてもきれいな所だったと思います。
旅行中の本部の人との交流といっても
道を尋ねた時に親切に教えてくださったおじさんと
「上原三味線店」の店主、さらに体験学習で三味線店にいた
中学生くらいですが、皆さんとても純朴でお優しい。

わずかな訪問だった本部町ですが、
私は一気に本部町ファンになりました。
分りやすい性格の私は
埼玉に帰ってきてから、一生懸命
「本部ナークニー」を練習しました。

「本部ナークニー」
本部の各村落の名前が出てきて面白いです。
その「本部ナークニー」に続けて歌われる
チラシの「かいされー」。
私が覚えた歌詞に

伊野波ぬ石くびり 
無蔵連りてぃ登る

なふぃん石くびり
遠さはあらな


というのがありました。
「石くびり」??「登る」??
最初私は、「石ころ」くらいにしか思っていませんでしたが
調べてみると、いろいろ分って面白かったです。
「石くびり」=「石ころ」で合っているようですけど、
もう少し奥が深いようです。
「石くびり」とは、本部町でも観光地になっている
「石ころの多い坂道の名前」のようです。
で、上記の歌詞は琉球古典「伊野波節」(ぬふぁぶし)の歌詞なのだそうですね。
この「石くびり」。
次に行った時には、見に行きたいなぁ。

で、歌の意味。
「伊野波の石ころ道の坂は、大変難儀なところであるが、
愛する女性と連れだってお互いに語り合いながら行くときは
もっと遠くあってほしいと思う。」

だそうです。
大変きれいな歌詞なんですね。

こういうことを勉強させていただいた
「本部町HP」どうもありがとうございます。

また行きたいなぁ。本部町。
「ナークニー」ではなく、「かいされー」の記事になってしまいました。
by niraikanai76 | 2006-03-18 18:19 | 唄三線