唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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カテゴリ:介護のこと( 8 )

「施設へ預ける=姥捨て山」の時代。

「自分の親を施設へ預けられるなんて…。姥捨て山と同じだね」
こういうことが語られていた時代があったようです。
おおっぴらに言われなくなっただけで、今でも少なからず
そういうことを考えている人はいるようです。

私は介護施設に勤めていますが
施設のお年寄りのご家族は、その思いも様々です。
(多くはお年寄りのお子さんです)

共通しているのは
「自分の親を施設に預けるなんて、
捨ててしまったみたいで心が痛む」
という思いです。

この思いを素直に語ってくださるご家族には
私の考えを聞いていただくわけですが、中には素直にこういう思いを
いえないご家族もいらっしゃるわけで。
そういう場合は大体において、施設や職員のクレームという
捻じ曲がった感情で表現される場合が多いです。
中には「ごもっとも」というクレームもありますが
そのほとんどは、正直「え~。言いがかりでしょう」と言いたくなるものが
多いのです。

ご家族からお年寄りを預かった我々は、ご家族との対話は
大変貴重なものです。

「本当ならば、自分の家で最期まで面倒を見たい」
それはその通りなのです。
ですが、それが出来なくなってしまったり
諸々の事情で在宅介護が限界に近づいてきたからこそ
施設入所を考えておられるわけです。
ですが、その「施設入所」もどこか後ろめたさがある…。
こんな複雑な思いがあるようです。

ムリして在宅介護を続けるとどうなるか…。
多くの場合は、親を大嫌いになってしまったり
ひどい場合には虐待にまで進んでしまったり…。
そういう弊害があるわけです。
こういう状態になるまで介護を続けたからといって
お年より(自分の親)が喜ぶはずもありません。

在宅介護の全てが「虐待や家庭内不和に繋がる」
といっているわけではありません。
在宅介護で問題の無い場合は、それはそれで幸せです。

家族が仲良くいられるように。
いつまでも大好きな
「親父」「おふくろ」「お父さん」「おかあさん」
「おじいちゃん」「おばぁちゃん」でいてもらうために。
そのために施設入所を選ぶのならば、
それは「親を捨てた」ということにはならない。と私は考えています。

家族関係を壊してまで、
在宅介護をする必要があるとは私は思いません。
「施設に預けた」のではなく「うちのおじいちゃんは、引越しをした」
こういう風に考えてみませんか?
他にもお年寄りはたくさんいらっしゃいますし、
お友達が新しく出来るかもしれませんよ。
心が痛む。とおっしゃるならば、無理のない範囲で
ご家族が面会にいらしてください。と。
私はご家族に対して、いつもこう話すことにしている。

「四六時中、要介護度4のおじいちゃんと一緒」
という状態で疲れてしまったのならば、日中のお時間のあるときに
面会に来てくださいね。どうかご家族が良好な関係でいられるような範囲内で
おじいちゃんに会いに来てあげてください。と。

さて…こんなことをご家族に話してしまう以上は
我々には「家にいるときよりお年寄りを輝かせる」という
責務が生じます。
この心地よい責任感。これが私の原動力です。
by niraikanai76 | 2006-04-10 22:45 | 介護のこと

夜勤とビールと餃子

「夜勤中に、ビールと餃子でカチャーシー」
という危ない話ではありません。

私の勤める施設の夜勤の勤務時間は
17:00~翌10:00まで。です。
都合17時間も拘束されます。

日勤の時間帯は、出勤職員数も多く
もし何かあってもみんなで協力して対処できるので
心強いんです。

夜勤になると、日勤時間帯にいる職員は全て帰宅。
夜勤者3人で施設全体のお年寄りのケアにあたります。
お年寄りはその大半がお休みになられていますが
中には夜通し「夜間散歩」「意味不明な会話」をする人も多いのです。

職員の人数が少ないですから、
その「夜間散歩」「意味不明な会話」の相手をするのも
「マンツーマン状態」となり精神的にも少々やられます。
お年寄りの興奮状態により
「夜間散歩」→「夜間行軍」
「意味不明な会話」→「完全に宇宙語」

に移行している日も、ままあります。
中には「こちらに戦闘を挑んでくる人」もいます。

さらに、お年寄りが亡くなるのは
季節で言うと夏と冬。
時間帯で言うと夕方から朝にかけての「夜間」が多いです。
当然「夜勤」は毎回緊張しています。
拘束時間も長いので、疲労の度合いも強いです。
基本的に「夜間不眠」で働いているので…。
(仮眠はありますが、あまり眠れません)

緊張しながら、朝の雑然とした忙しさを終えて
ドロドロに疲れてやっと帰宅したそのときに…。

とても楽しみなのが
「夜勤明けの昼。ビールに餃子。三線でポロポロ弾くナークニー」
なのであります!!

夜勤は月4~5回あります。
その程度の頻度ですから、当然ここでは「発泡酒」というような
「ケチな真似」はしません。思い切って「本物のビール」です。

そして「餃子」。
これは私の手作りです。
何を隠そう、私は「餃子作り」が趣味です。
一度に250個位作ります。
これを冷凍しておくのです。
でも一度に食べるのは8個。です。
あまり多すぎると、胃もたれします。
「餃子だらけで冷凍庫が狭い」という妻の苦情は、
「分かった風な返事」で切り抜けます。

夏の間は、これが本当に「夜勤明けの楽しみ」でした。
夜勤明けの昼間に飲むアルコールは、ものすごく効きます。
一度は「三線を抱えたまま」眠ってしまったことがありました。
(今思えば、カラクイが折れたりする可能性も…。危ないですね。)
あっという間に眠れます。

こんなに楽しみにしていたのに
冬の今は、やらなくなってしまいました。

実は今日。夜勤明けです。
細々と「うどん」を食べました。ビールなしです(笑)。

職種に関わらず「夜勤」をされていらっしゃる方は
一度「夜勤明けのビールと餃子」お試しあれ。
至福のひと時が、あなたに訪れますよ。
by niraikanai76 | 2006-02-27 12:31 | 介護のこと

施設で三線を…。

私は施設介護職員。
だから、そこで「唄三線をよくやるのか…」
といえば、そうでもないんですね。

実際、お年寄りに聞いて頂きたいとも思いますし
やればたぶん喜ばれるのだろう。とは思いますが、
なかなかやらないですねぇ。

理由① 業務中だと、業務の事が気になりなかなか集中して出来ない。

理由② 自分の就業時間後ならば、上記のような心配はないが
     それでもシフト制だから他の職員が働いている。その都合もあるので
     勝手にみんなを食堂に集めて…などは、気が引ける。
     (お年寄りの皆さんを集めて「唄三線をする」のは私ですが、その後
     お年寄りをお部屋までお連れしたり見守りをしたり。という仕事があります)

理由③ 理由②のように「唄三線をやるだけ」にとどまらないと
     結局長々と残業をすることになるのです。
     →どこまでいっても「所詮仕事になる」と。これが付きまといます。
     なかなか気乗りしません。さらに「お年寄りと唄三線と楽しむ」
     これがなかなか出来ません。どうしても頭が仕事モードになってしまいます。

理由④ 「慰問のボランティアさん」など、いわゆる「外部の人」には優しいですけど
     お年寄りって結構「毎日顔を合わせている職員」には手厳しいのです。
     「へたくそ~。」とか言われるかも…?

このように職場の渦中にいると、なかなか職場ではやらないですね。
あ、そうか「別な施設へボランティアとして行く」というのも、手かもしれませんね。


     
by niraikanai76 | 2006-02-22 22:58 | 介護のこと

その、瞬間。

おととい、施設の入居者がひとり。亡くなった。

去年の11月、みんなで100歳のお祝いをしたばかり。
2週間前から、徐々にご飯が食べられなくなってから
どんどんやせていった。「老衰」だった。

人は皆、いずれは死ぬ。
それは分かりきったことだ。
この仕事をしていれば、普通の人よりも
「数多くの死」に立ち会うことになる。
数多くの、「その瞬間」に。

でも、こういうときなのだ。
「この仕事は辛い」と思うのは。

学校の先生。保育士。幼稚園の先生。
いずれも「これから成長していく」という子供や生徒の相手をする
お仕事である。もしくは「自分の手で、成長させる」という使命を帯びている。

だが、介護職…。
いくら忙しい日常の中で「この人のためにはこうしてあげたら良い」
と職員全員で考えて実行しても、相手はお年寄りである。
これから衰えていくことはあっても、驚異的に体力を回復して家に帰る
なんていうことは、まず、ない。
せいぜい「現状維持」がいいところである。

やってもやっても死んでゆく。
この考えに、囚われてはならない。仕事にならない。
だから、多くの介護職はこう考えるのである。

「最後に、こういう職員に会えて、嬉しかった。良かった。」
そう思ってもらえれば、それだけで良いのである。と。

しかし、この世から立ち去ってしまったあの人には
そのことを尋ねる事すら、もうできない。
「あなたの100年の人生、最後はここで暮らせて良かったですか?」
自問自答する、私が残されているだけであった。
by niraikanai76 | 2006-02-19 20:24 | 介護のこと

ボケる職業・ボケない職業

「認知症」

マスコミでも、良く取り上げられる話題である。
医学的には「加齢に伴う脳の器質的変化により…」
などと説明されてはいるものの、病原因や治療方法など
その詳細に渡ってはいまだに謎に包まれている。

最近までは「痴呆症」などと呼ばれていたが
「痴れて呆けている」という呼び名が「蔑称になるのではないか」
という理由から「認知症」と改名された。

実は、この認知症。
ひとつの病気ではない。

大きくは
・脳血管性認知症
・アルツハイマー病
・加齢による認知症

に分類される。
「脳血管性認知症」とは、「脳梗塞」や「クモ膜下出血」などの病気により
脳の機能が打撃を受けたり脳の一部分が機能しなくなって引き起こされる
認知症である。

「アルツハイマー病」は原因不明の病気で
根治方法もいまだ見つかっていない。
比較的若年から発症することも多く。
「若年性認知症」は、このアルツハイマー病である場合が多い。

介護施設に勤務する私は、こういう病気の方々の日常生活を
サポートさせていただいているわけだが、それはそれは困難を極める。
常識では考えられないような言動や行動をすることがあるのだが、
こちらも色んな認知症の人達を見てきているので、慣れっこである。
しかし、こちらの想像の範囲外の行動をとることがあるので
職員が驚くようなことも、しばしば起こる。

マスコミでは
「これで、ボケ知らず!」
「認知症の予防には、これです」
「こういう生活習慣だと、呆けにくい」

というようなことが連日のように紹介されているが
認知症の人達を毎日見ている私なんかが見ると、
「え?そんなわけないだろう」と思うようなことも、多い。

よく、「手先を使うような職業や趣味を持っていると、呆けない」
といわれるが、どうだろうか。
私が出会ってきた認知症の方の職業を見てみると
それはそれは色んな職業の人がいる。

「手先を使うと、脳の刺激になって認知症にはならない」
というのは、幻想であると思う。
実際、私の勤める施設には発症前まで
「ピアノの先生」「和裁師」などの「手先を使う職業」
の人がいるし、以前勤めていた施設にも同じように
「手先を使う職業」の人たちがたくさんいた。

職業によって、呆ける呆けない。の差は
介護職員の目から見れば、あまり無いような気がする。

アルツハイマーの原因は不明だし、
脳血管性認知症は、他の病気のいわば「後遺症」である。
では、加齢による「認知症」はどうすれば防げるのか。

加齢による認知症は、根治できないということになっている。
施設の嘱託医も、そう言っていた。

でも、私が認知症の方々を見てきて
「加齢による認知症」を引き起こす原因は、なんとなく分かる。
ざっと挙げると

①配偶者や家族の死別
②老齢になってからの引越し
③怪我や病気。また、入院

これらの出来事を境に認知症になる人はものすごく多い。
他にも要因はあるのだろうが、これらの要因には共通することがある。

「環境の変化」である。

②などは
「ウチの親父も、もう歳だし。田舎での一人暮らしは大変だろう。
よし、東京につれてき、一緒に暮らすか。」
というような家族の思いやりによって引き起こされる場合も多いのだ。
これは、家族もかわいそうだ。
自分達が良かれと思ってしたことが、自分の親に認知症を引き起こしたりするのだから。

「引越し」
若い人や働き盛りの人ならば
どうということもないようなことでも
老人には、たいへんなことらしい。

・自分が愛した土地との別れ
・通いなれた道や、暮らしなれた家との別れ
・地域の友人知人との別れ
・地域の中で自分が持っていた社会的立場の喪失
・地域の行事や慣習との別れ

「家族と一緒に暮らせる」という喜びの裏で
実はこれだけのことを老人は失っているのである。
「生きがいを失くす」といえば分かり易いかも知れない。

若い人なら、「違う土地で心機一転」
というのは簡単だが、70・80・90歳を越えての
「新たな生きがい探し」というのは
とても難しいということだ。
もちろん、新たな土地で生きがいを見つけ「認知症なにするものぞ」と
引越し以前より元気に暮らしているお年寄りも多い。

「生活の環境は、あまり変えない」
効果的な予防方法であるのかどうかは分からないが
少なくともお年寄り自身の「生きがい」は失くさずに済むと思う。
お年寄り自身が引越しを望んでいるのであれば
それはまた話が別だが。

私は「認知症」の方々とは縁を切れない仕事をしている。
正直「しんどいなぁ」というときも、ある。
でも、この病気を持った人たちが
「自分らしく生きる」為に、これからも笑いとその人の世界観の中での暮らし
を提供し続けていくつもりである。
by niraikanai76 | 2006-02-06 20:40 | 介護のこと

介護は、きれいではない。

テレビCMやN○Kの番組で語られる介護は
どうも小奇麗過ぎる気がしている。

実際の施設介護は、テレビCMでおなじみの
「いいお天気ですね」
などと陽だまりで微笑みあう職員と老人…という光景は、あまりない。
皆無ではないけれども、あまりこういう時間は、ない。忙しいのである。

夕食後の歯磨き介助からベッドに寝かせるまで、
まさしく「戦場」と化す。
老人介護施設は、
本当はもっとゆったりゆったりと時間が流れてしかるべき場所であるとは思うが
施設が大型であればあるほど、忙しくなる時間帯なのだ。

以前働いていた施設でのこと。

夕食後の歯磨き(口腔ケア。という)の時に
Aさん(おばぁさん)が騒いだ。口腔ケアのときは、いつも騒ぐ。
この人は歯が全て抜け落ちている。
だから、ブラシで歯を磨く必要は無い。のであるが
老人の口腔内には食物残渣がたまりやすいので
柔らかめのブラシで、除去する。

口腔内に残渣を残したままにしておくと、残渣が肺に落ちてしまい
「誤嚥性肺炎」になってしまうことがあるので、
老人が嫌がっても、これは欠かせない介助なのである。

いつものようにAさんの口にブラシを入れて口腔ケアをしていると
「痛い!」と大声を出した。
大してこすりもしないのだが、痛いのだろう。
いや、老人の場合は痛くなくても「痛い」が口癖の人もいるから
判別しにくいところだ。
自分が他人の身体介助をしていて「痛い」と言われると
最初は「あぁ。」と気が引けてしまうのだが、これが毎日ともなると
あまり気にもしなくなる。

私はいつもの事なので、あまり気にせずに
介助を続けていた。
「痛い!痛い!」
とあまりに騒ぐので、
「人生にですね、痛みはつきもののようですよ。」
といいながら、私は介助を続けた。
そしたらAさん。
「97歳の人間に向かって!お前はガキのくせに、何を言うか!」
と怒り始めた。

驚きである。
この人、認知症のため
自分の年齢など、とうに分からなくなっている。と職員の誰もが思っていた。

普通は、怒られれば「すみません」となるところなのだけれど
私は驚きすぎて
「すごいじゃない!97って、適当に言ったんじゃないですよね?」
と語りかけて喜んでいた。
Aさんは「当たり前だ」という。
普段年齢を聞いても「45」などと、かなりおかしなことを言っていた人である。

「じゃあ、お祝いの気持ちをこめて
97歳に尊敬の念をこめて、歯磨きします」

などと言いながらどさくさに紛れて介助を続けたら
「この~!分からんやつだ!」
と怒りながら、歯ブラシを私の手からとってぶん投げ、

「誰か~!おまわりさんを呼んでくださ~い!
ここに、こういう馬鹿がいますから!」

と、とてつもない大声を出した。

集まった職員みんなで、大笑い。そして驚愕。
一人憮然とした表情だったのは、Aさんだけであった。

老人は、長年生きてきて
色んな知恵を持っていて、かなりしたたかである。
認知症でも、そうでなくても。である。
そういう老人を、一度に大勢相手にするには
職員にも、ある程度のしたたかさが要求される。
決して小奇麗なだけの世界では、ない。

介護は、一日にして成らず。
この文を読んで「虐待だ」と思った方。
それは、一人の老人と何日も関わらなければ
分からないことだと、私は思いますよ。
by niraikanai76 | 2006-02-03 23:14 | 介護のこと

善意は悪意

今、介護予防が叫ばれている。

介護保険の受給者が増え、財源を圧迫していることや
とんでもない人数の施設への入居待ちがある現実。

施設に入居しなくても良いように、なるべく要介護状態にならないように
「体を動かして現状の体力レベルを維持しましょう」
ということだ。
デイサービスなどでは「パワーリハビリ」が人気で、お年寄りが元気に過剰負荷にならない程度の筋力トレーニングに励んでいる。

私は施設に勤める身なので、どうしても体の拘縮が強くなってしまった人や
日常生活の基本的な事(ADL:Activity of Dairy Livingという)が一部、
またはほとんど出来なくなってしまった人のお世話をさせていただくことが多い。

それでも、本人ができるところはやってもらっている。
年齢を重ねると、いろいろな事が面倒になるのか
何でも職員にやってもらいたがる人も多いが
「いやいや。自分でやりましょうよ」と促している。

ただでさえ体が動きづらいのにその人が自分で着替えなどをするのだから、
当然時間はかなりかかる。正直、他の業務の事を考えれば私が手を貸して
さっさと着替えてもらったほうが仕事ははかどる。
でもそこはじっと我慢して、もぞもぞと不器用に着替えるお年寄りを
傍で観察しているだけにしてどうしてもできないところだけをお手伝いさせて頂いている。

何とか着替えが出来ていた人が、着替えが出来なくなってしまう。

これはものすごく大きな損失なのだ。
私の知る限り、一つのことが出来なくなると途端に身体能力が下がって
要介護度が上がったり、他のこともどんどん出来なくなってくるケースが多い。

介護のことを知らない人が見たら、冷酷だと感じるかもしれない。
着替えに四苦八苦しているお年寄りの傍で黙って見ている職員。
私も実際に言われたことがある。
「かわいそうじゃないか。困っているじゃないか」

そんなときは理由をちゃんと説明している。
この人はどこまでできて、どこができないか。
どこまでは見守り、どこからは介助しているのか。

「出来なくてかわいそう。困っているからやってあげよう」

この善意が、実はお年寄りの身体レベルを下げる原因になったりする。
善意のつもりが、習慣化すれば「お年寄りの身体的レベルを下げて、
できていた事を出来なくさせてしまう」という取り返しのつかない罪になってしまう。
もちろん、急に出来なくなったりすることはまれだから「歳のせい」で片付けられてしまう
ことも多い。

福祉関連の広告類、福祉のイメージは大衆に誤解を抱かせるのに充分な役割を果たしている。
優しく介助している職員の横で微笑む老人。

ある人に、出来ないことを要求するのは「いじめ」でしかない。
極端だが、ひざが固まったまま動けなくなってしまった人に対して
「歩いてください」
なんていうのもそうだ。

だから、私のような現場の介護職はお年寄り一人一人を普段から
よく見ておかねばならない。どこまで出来てどこが出来ないのか。

お年寄りの大切な力を少しでも長く維持していてもらうために。

一方で
「もうなにも自分ではしたくない。体が動かなくなっても良いから全部職員にやってもらいたい」
という人もたまにいる。

「結果たとえどんな状況になろうとも本人に意向があるなら、それを尊重したい」
と考えている自分としては、実はそれに従ってあげるのもありなんじゃないかと思う。
でも大体の場合、家族や医師の意向で打ち消されてしまう場合がほとんどだ。
「うちのばあちゃんは怠けている。だから何でも自分でやらせてください」
と言われたりする。
それに、「本人の意向だから」と何日も風呂に入れなかったりしたら
たとえそのお年寄りに身寄りが無くても、施設に監査に来た役人はなんと言うだろう。

だから本人の意向に沿わない介護が行われていることはかなり多い。
「年だから」「この人はもう正確な判断ができないから」と、家族が言うのだ。
施設にとって、家族の意向は絶対だ。

自分が自分の人生の最後の何年かを、自分の意思に添わない形で
過ごすというのはどんな気持ちだろう。

善意のような悪意と、悪意のような善意がいつも私の中で戦っている。
by niraikanai76 | 2005-12-02 18:59 | 介護のこと

介護を仕事にしている

私は介護を仕事にしている。
施設介護だ。

仕事柄「何のために人は生きているのか」を考える機会が多い。
哲学的な命題である。亡くなってゆくお年寄りを見て「こんな最期で良いんですか」
と言いたくなるときもあった。
私はお年寄りが生きてこられた70~80年、また90年の
その中のほんの数年のほんの一部でしか関われない。
そんな人生のなかで長年大切にしてきたその人その人の習慣が誰しもあるはずである。
若造の私がその人を見て、また他の職員がみてどう思うか。それでその人のケア計画が決まるのはちょっとおこがましいな。と最近考えている。
その人が大切にしているものは何か?
よくよく考えなければならない。
by niraikanai76 | 2005-11-30 14:32 | 介護のこと