唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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私にとって、2005年という年は。

「激動」

私にとっての2005年はまさしく「激動」の年であった。
今まで生きてきて、これほど身の回りの状況が一度に変化した年は、ない。

まず、職場が変わった。
心機一転、新設の老人介護施設に5月から勤めだした。
それまで勤めていたところは、もう施設自体の歴史もあり
色んな面で、決まりごとが出来上がっており仕事をするには楽であった。

しかし、その「マニュアル化」が招く「組織の硬直化」も弊害として
当然あり、新たな試みが出来にくい状況でもあった。

自分の職務経験上のプラス面を考えて
地元に出来た新設の施設に転職した。
ここで私は「フロア主任」になった。

新設だといろいろな事が未知数で、今も手探りで
「良いケア」を目指してはいるが、まだまだ飛躍できるであろう。
来年の課題である。

そして
4月に結婚。引越し。
6月には結婚式と、沖縄旅行。

結婚式、この日のことは
自分は生涯忘れないだろう。
自分の親が、あんなに嬉しそうにしている姿は
今まで見た事がない。

沖縄旅行。
私のライフワークである唄三線。
そのライフワークの友である、三線を探しに行った旅だ。
いつも懇意にさせていただいている漆畑さんにも、初めてお目にかかれた。
そして照喜名さんとの出会い。

あいにく、妻はつわりで沖縄を満喫できずじまいだったが
次の沖縄は、家族で楽しみたい。

そして、妻の懐妊。
いまだに、あまり実感のない私だが
そうこうしているうちに、生まれてくる。
気づけばもうすぐそこ。2月の予定である。

7月
「結婚披露パーティー」
今までにお世話になった友人達に来ていただき
とても思い出に残る記念の会となった。
そのほとんどの時間を私と仲間の「バンドの時間」にしてしまい、
「やりたい放題」のパーティーになってしまったが
妻の体調不良時期と重なっていたので、まぁよしとしよう。
私自身は、とても楽しかったですし。

このバンドのメンバーが、すごい。
ドラムとピアノは、大学時代の「モダンジャズ研究会の親友」
ボーカルとギターとベース(一部)は以前勤めていた会社の同期3人。
パーカッションは、私の高校時代の「吹奏楽部の親友」
私は、ベースと三線。

私とっては「これ以上無い、豪華なメンバー」であった。
このメンバーでステージに立てたことだけで、幸福である。


10月
私は生まれ故郷が愛知県なのだが
この月には、その愛知の親戚筋に結婚報告の挨拶まわりに出かけた。
車で埼玉から行ったのだが、東名高速走行中に
静岡の掛川あたりで「スピード違反」で捕まってしまう。
123km/hだったのだが…

これで実は免許の累積点数「6」
埼玉県大宮で、後日「免停講習」を受ける。

…とまぁ。いろんなことがありましたが
今年も今日で終わりです。

今年は「激動の年」
来る2006年は「充実」の年にしたい。
家族・唄三線・そして仕事
全てにおいて、充実が図れれば。と思う。

唄三線の面では、今「りゅういちさん」と楽しんでいる
唄三線遊びを、サークルの域にまで高めたい。

色んな目標が、あって困る。
困るくらいのほうが、私の場合は良いのかもしれない。

2005年も終わりに近い11月30日に
このブログを開設しました。
いつも見てくださっている皆様、
いつもありがとうございます。

これからも、皆様にとって「面白い」
と感じて頂けるような記事を、書いていきたいと思います。

どうぞ、良いお年を。
by niraikanai76 | 2005-12-31 20:38 | ひとりゆんたく

照喜名さんとの電話

私の三線は、年明け早々に沖縄に旅立つ予定だ。
私がなかなか沖縄に行けないので、身代わりに旅行
してきてもらう。というのは冗談ですが。

「棹の塗り替え」

に出すのです。
照喜名さんの所から三線が送られてきて約半年。
私はこの半年間、ほとんど毎日この三線を弾いてきた。
休みの日など、それこそ「朝から晩まで」である。

色んな民謡を弾いて
なおかつ、「上老尺老」「尺老工老」
などという運指の練習を、メトロノームに合わせて
毎日行っていたのだ。

11月くらいから「老」の勘所を弾くと「ビリビリ」という雑音が入るようになり
日に日にひどくなっていった。
「ビリビリ」は、三味線が届いてから弦の巻き方やピッチの高さによっては
少し見られたものの、この1ヶ月は異常によく出る。

棹の「老」の勘所を見ると
弦が擦れた跡が無数に付き、勘所周囲が凹んできていた。
自分でも「まぁ、これだけ弾いていれば、当たり前か」
と思っている。

三味線を受け取ってすぐ、朝榮さんに電話をしたときに

「ずっと弾いていると塗りは凹んでくるけど、そのまま弾き続けると
塗りを通り越して、木の部分が凹む。これはまずいことだから
気をつけるように。そうなる前に、塗り替えに送って来なさい」

と言われていた。
新品の三味線を弾いていて
「少しくらいの弦による傷」
が棹につくのは
「馴染んできている」として、よい状態なのだそうだが
「ビリビリ言い出すと、塗り替えをしたほうが良い」
と言われていたのである。

私は決心して、年明けに沖縄へ三線を送ることにした。
三線は、できることなら良い音で弾いていたい。

先日、塗り直しの件で朝榮さんと電話していたときのことである。
話は蛇皮のことへ。

「皮を張り替える」というだろう。
でもね、できる皮とできない皮があるんだけれども
胴から張ってあった皮を剥がして、また水に漬けて
伸ばしてから張りなおすこともできるんだよ。
「締め直し」と呼んでいるけどね。
微妙な加減が必要だから、ジャッキではできない。
くさびで、締め直すわけさ。

と教えていただいた。
これには驚いた。
「皮は剥がしたら、もうその皮は使えない」
とばかり思っていたのだが…。

驚く私に
「あんたが驚くような技を、もっといっぱい持っているよ」
と朝榮さんは電話の向こうで笑う。

沖縄へ行ったときも
そしてこうして電話でも、
いつもお世話になっている。

ありがたいことである。

尚、塗り替えには1ヶ月以上かかるらしい。
その間、愛器で唄三線ができないのは残念だが
初代三線に活躍してもらおうと思っている。
by niraikanai76 | 2005-12-30 21:47 | 唄三線

モチベーション維持法①

独学で唄三線。

唄三線は楽しい。
これは、私にとって紛れも無い事実である。
だからこそ、3年近くも楽しんでこられている。
最近仲間が出来たので、なおさら楽しいのである。

だが
「定期的に発表の場が無い」
「特に誰からも課題を与えられず、評価も無い」
「うがった見方をすれば、自己満足」

という状況がある。
独学のデメリット。というやつである。

私は毎日三線を楽しんでいるが
年に1度程、「あぁ、こうして唄三線して、なんになるんだろ」
と思ってしまう瞬間が確かにある。

楽しいのだが、自分に課した課題を乗り越えられなかったり
ちょうど同じ時期に仕事が忙しくて唄三線の時間を満足に取れなかったり
そういうときに限って、沖縄民謡も聴かなくなったり…

そんな
「重なってしまうマイナスファクター。だめな時期」
はある。大体、これは1・2週間続くのだけれど。
皆さんにもあるかどうかは分からないが、私にはあるのだ。

そんなとき、私は必ずやることがある。

「三味線の弦の張替え」である。

弾き込んでいようがいまいが、とりあえず
三味線の弦を変えてみる。

三味線の弦を変える→弾いてみる
→「ちょっとサボったら、こんなに弾けなくなっている!!」とショックを受ける。
→練習しだす。
という図式のもと、また唄三線と対峙していくことになる。
大体、私の場合はこれで気分は元通りである。
これでも直らないようなモチベーションの低下は、今のところ無い。

今では、「どれだけ弾いたか」にかかわらず
1ヶ月に一回は必ず三味線の弦を張り替えている。

「1ヶ月持たないよ。もう、張替えだな」
というときは、練習に集中できている時期だ。
一方
「あ、あんまり痛んでない。それほど弾いてないか」
という時は、練習に時間を割けなかった時期である。

仕事をしながら趣味で唄三線をしている人間なのだから
そういうどちらの時期もあって当然である。
むしろ、いつでも三味線の弦が傷んでいたんで仕方ない。というほうが
不思議だ。(そういう状況の人は幸せです。)

私が言いたいのは
「唄三線のパートナーとして、いつでも三味線にはベストな状況でいて欲しい」
ということなのだ。
仕事に疲れて、気分転換に唄三線をしようと思ったときに
「クタクタに疲れた弦の音」がするのは、正直気分が滅入る。

気分良く唄三線をしたい。
だけど、唄三線をする時間は限られている。
だからこそ、限られた時間で弾く三線には、良い音を出していて欲しい。
そんな考えから、定期的に弦は張り替えるようにしている。
「せっかく張り替えたのだから」と時間をわざわざ作って三線を弾くことも多い。

私なりの、モチベーション維持法その①。である。

ちなみに、この方法
妻は「無駄遣い」と一蹴する。
でも、そんなことは気にしないようにすることが肝要です。
でも、裏では「また弦を買ってしまいました。すみません。」と
手を打っておくことも(打てているのか?)、忘れないようにすることが肝要である。
by niraikanai76 | 2005-12-29 21:54 | 三線独学のススメ

「三村踊り」の囃子部分

今日の更新
「昨日は三線づくし」
「所沢唄三線サークル」

沖縄民謡「三村踊り」。

先日購入した
「よなは徹プレゼンツ うちなーのわらべうた」
に収録されているのを聞き、ぜひ自分でもやってみたくなったのです。

三線弾きながら歌うのはそれほど難しくありませんでしたが
ひとつ問題が…。

一番・二番~と唄は進むのですが
それぞれの終わりに同じ囃子が入っています。
歌詞カードを見ても、楽譜を見ても
このお囃子が書いてありません。
ネットで調べてみましたが
探し方が悪いのか、出てきませんでした。

「しぃしぃしぃし ※×○△~」
記号の部分が全く分かりません。
私の「沖縄方言聞き取り能力」では
呪文のようにしか聞こえません。


最終手段で、懇意にさせていただいている
漆畑さんに相談させていただいたところ

「なーてぃーちぇ、たーちぇ、みーちぇ。のようです」
と教えてくださいました。

「なーてぃーちぇ」=「なーてぃーち」→標準語で「もう一丁!」という掛け声なんだそうです。
「たーちぇ」    =「たーち」    →標準語で「2つ」
「みーちぇ」    =「みーち」    →標準語で「3つ」

つまりは「もう一丁、二丁、三丁」
という意味になるとのこと。

いや~、勉強になりました。
言われてみて、改めて曲を聴くと
確かにそう言っています。

私の三線には「たーちぶしぐゎ」=「二つ星小」
と数字の入った名前まで付いているのに、気づきませんでした。
お恥ずかしい。

この囃子抜きで「三村踊り」を唄っても
「チーズの乗っていないピザ」を食べるような気分です。
え?分からない?

まぁ、とにかく私はそんな気持ちになっていたんですね。

教えていただいて、非常に助かりました。
これで気持ちよく「三村踊り」が歌えます。
…と同時に
「自分でも何とかして聞き取る努力をせんとなぁ」と思いました。

皆さんもいかがですか? 軽快で、とても良い曲だと思います。

「なーてぃーちぇ、たーちぇ、みーちぇ!」
by niraikanai76 | 2005-12-28 20:53 | 唄三線

所沢唄三線サークル

現在、りゅういちさんと私の2名だけです。
近隣の方で唄三線をされる方はご一報ください。
一緒に唄三線で遊びましょう。

日時:不定期

場所:メインは航空公園(暖かいうちだけ)
    他は人数次第で考えます。

資格:唄三線をされる方ならどなたでも。
    師匠はいません。情報交換程度に考えていただければと…。

連絡先:まずは、当ブログコメント欄にてお願いします。

次回予定:未定ですが、1~2月の間で1回は行う予定。

以上、冗談のようでもありますが
なかなかどうして…結構本気です(笑)

お気軽にご連絡ください。
by niraikanai76 | 2005-12-28 20:04 | 唄三線

昨日は三線づくし

<三線サプライズ>

昨日、我が家に(正確には私の実家に)
お客様が来て下さいました。

同じ埼玉県人の「りゅういちさん」です。

当初、公園での練習を予定していましたが
あまりに寒すぎます。公園に近い我が実家にお誘いしました。

りゅういちさんが来てくださる前は
ただ、一緒に唄三線を楽しむだけのつもりでした。
しかし、りゅういちさんが持参された2挺の三線を見てびっくり。

なんと、三線を自作されていらっしゃるのです。
沖縄で私が見てきた三味線店のお話や、三線を作ったときの
苦労話など、唄三線だけにとどまらない楽しい時間をすごさせていただきました。

りゅういちさんは沖縄へはまだ行かれたことが無いそうですが
「名工の作った三線が見てみたい」とおっしゃいます。
「こんなに三線を作っているのなら、絶対行くべきです」
と思わず口に出してしまいました。
私などより遥かに三味線店で色んな事を吸収できるでしょうね。
りゅういちさんは「沖縄には内緒で作っています」
と笑います。

私の三線をみて
「なるほど…ここの広がりは…」
という具合に納得されていらっしゃいました。
三線を弾いて、見て楽しむだけの私とは
明らかに違う視点で三線を見ていらっしゃいました。
完全に、製作者の視点です。

そして、問題のりゅういちさん作の三線は…
「シャム柿」という木を棹に使った三線が、良い音がしていました。
まろやかで、とげが無くて。「ナークニー」を弾いてみましたが
とても味のある音だと思いました。

形はまだまだ勉強中でいらっしゃるとの事で、
さすがに沖縄の職人さんと同じような。というわけには行かないようですが
誰にも習わず、ここまで三線を作られていらっしゃる
というのが、すごい。
これからも、ぜひがんばってください。

<民謡>

唄三線は「嘉手久」や「汗水節」などをあわせてみましたが
とても面白かったです。
三線が2本。それだけでワクワクしてきますし
普段、一人で練習しているときに比べて格段に音が厚いので
それだけで感動です。

何の曲をやっていた時かは忘れましたが
私が「二つ星小」、りゅういちさんが私の「初代花梨二重張り」を弾いて
唄っていました。
唄が終わった後、私は
「いや~、自分の三線が同時に鳴っているのを初めて聞きました」
などと話して笑ってしまいました。


「所沢唄三線サークル」
誕生です。
by niraikanai76 | 2005-12-28 19:59 | 唄三線

銀座わしたショップで買ったもの

暮れも押し迫る銀座に出かけてきました。
と言いましても、わしたショップにしか行きませんでしたけど。
購入したのは、以下のモノ達

・ヤチムンの茶碗…妻が私の茶碗を割ってしまったため。

・JTA2006カレンダー「美ら島物語」
           …沖縄では「青い海」が大して見れなかったので
             カレンダーで、自宅に居ながらにして鑑賞。あら、素敵。

・「よなは徹プレゼンツ うちなーのわらべ唄」
           …これは私用、というより生まれてくる赤ちゃんのためです。
            0歳児から、沖縄民謡を。初めての発語が「あんまー」だったら、
            面白いです。

・「月桃アセロラ茶:ペットボトル」
           …沖縄で6月に飲んだときに「これは美味しい!!」と思っていたのですが
            本土ではなかなか手に入りません。見つけたので、即買いです。

・タコライス:レトルト…妻のリクエストですね。



とまぁ。いろいろ買ってしまったわけですが
沖縄に行っている間は「大して要らないなぁ」と思うようなものでも
内地に帰ってきてから「わしたショップ」で沖縄のモノを見ると異常に欲しくなってくる
時があります。なぜでしょう。

沖縄の音楽が絶えず店内に流れ、店の内装も凝っています。
店員さんも、沖縄風です(もちろんか)。
私が考えるに、
内地にいても、わしたショップにいる間は「まるで沖縄でお土産を選んでいるような錯覚」
に囚われるのではないかと思うのです。
購買意欲をかきたてるには、充分でしょうね。

批判をしたいのではありません。

私のように「沖縄に滅多に行けない沖縄ファン」にとっては
このわしたショップのようなお店はとても貴重だ。というお話です。

沖縄のモノが欲しければ、たいていはここで手に入ります。
三線関連のものはあまり期待できませんが、それでも
一物産店であれだけ揃っていれば、たいしたものです。

それに、店内を見ている間
「あぁ、こんなのと同じものを国際通りで見たなぁ」
とか沖縄旅行の楽しい思い出を、思い出させてくれます。

行けば楽しい、わしたショップ。
でも、本当は沖縄に行きたいです。
来年も、がんばって節約節約。
by niraikanai76 | 2005-12-27 13:32 | ひとりゆんたく

三味線が届いたその日<新婚旅行番外編>

私が照喜名三味線店に三線を注文したのが6月20日。
「この日までに間に合わせてください。」
とお願いした結婚披露パーティーの日が7月23日。

沖縄で朝栄さんに三味線を注文して
埼玉に帰ってきてからはすぐは「三線が待ち遠しいなぁ」
程度の余裕のある気持ちがあったのだが、7月も10日を過ぎると
急に私はそわそわしだした。

「三線は届きましたか?」
休み時間にも職場から妻にメールをする始末。
家に来た宅配便を三味線だと思ってドアを開けてみたら
義理の母からの差し入れの品だったりして、急にがっかりしたり。
(差し入れはそのものは嬉しかったんですよ)

来る日も来る日も
三味線は届かず…。

しかしその日はやってきたのです。(当たり前)

7月17日午後7時

この時、私は家でフーチャンプルーを自作して
まさに食べようとしていた。
「三味線がなかなか届かないから、食事で沖縄を思い出して
楽しみます。」
と妻に宣言していた。
さらに盛り付け、テーブルに運び箸を持ったその瞬間。

ピーンポーン

「これは三味線に間違いない」
玄関を開けると、宅配便の人は長くて四角いダンボールを持っていました。
「はんこお願いしまーす。三味線って書いてあるけど、お兄さんがやるの?」

「はい。沖縄で注文してきたんです。」

「へー。すごいねぇ。じゃ、ありがとうございましたー。」

宅配の人が帰ったあと。
私は震える手でダンボールを開けます。
中から三線のハードケースが出てきます。
ビニールをはがし、梱包用エアパッキンを取り去り
私の横にはごみの山が出来ていました。

ここで一度落ち着き、まずはごみを片付けます。

「さぁ」
ケースの前に座って、パチンパチンパチンと留め金を外し
ケースを開けます。
中には、それはまばゆいばかりに輝きを放った
きれいな形の真壁型の三線が出てきます。

例の二つ星は、私が作業場で見たときの白ではなく
塗りが施されたことによって飴色に輝いていました。
チマグも天も、私が照喜名三味線店で見た三線と同じように
洗練された素晴らしい形に仕上げられています。


音も出してみました。
「ビーン」(に「ジーッ」という音が混じった)
と少し華やか目の芯と伸びのある音がします。
私の好きな
「主張しすぎない華やかさで、芯があり
輪郭の整った音」がします。

「すごい。素晴らしいね。」
スポンサーである妻も、形と音のよさに感動してくれました。

もう、フーチャンプルどころではありません。
ありえないくらいの速さでかき込んで食べ
「ちょっと公園に行ってきます。」
と三味線をもって、いそいそと公園に出かけて
夜遅くまで三味線を弾いて楽しんでしまいました。
by niraikanai76 | 2005-12-26 18:55 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

バイバイ沖縄

<ヤマト食堂>

照喜名三味線店を出て、私は首里城に行こうとしていました。
文化遺産好きの妻が「沖縄旅行では外せない」と言っていた
観光名所です。

でも、妻はホテルで静養中。
私一人で行ってしまっては、妻がかわいそうです。
「また、来たときに家族揃って行こう」
そう決めて、首里に向かっていた車を
そのまま恩納へ行き先変更して走らせます。

高速は「屋嘉~許田」間の大雨による落石警戒通行止め
もこの日には解除されていたのですが、私は下の道で
那覇から恩納まで帰ることにしました。
今日で沖縄の景色を見れるのは最後です。
ゆっくり、ホテルに帰るつもりです。

場所はよく覚えていないのですが
恩納村、ホテルムーンビーチの近く58号沿いに
「ヤマト食堂」はありました。
私達夫婦が沖縄に到着したその日の夕食を
この食堂で摂ったのですが
お店のこじんまりした感じと
店主のおばぁさんの素敵な笑顔、そして何より
おいしい料理が食べられて、私達は大満足でした。

初日に「また食べに来ます。」
とおばぁさんに言ったので、この沖縄旅行最終の夕食を
ぜひ、ここで食べようと思い、私は一人でまた来てみました。

お店の向かい側の駐車場に車を止めて
歩いてお店の前まで行きます。
お店は初日にきたときに比べて中の灯りが暗いように
感じました。
入り口左手はすぐカウンターになっていて、右側は
テーブル席と座敷が2・3づつだったと思います。

ドアを覗き込むと、カウンターで店主のおばぁさん
中年の男女が3人でお食事をされているようです。
「もう、終わりのじかんかなぁ。まぁいいや。挨拶だけして
他のところで食事をするか」
と思い、ドアを開けてみます。が、鍵が掛かっていました。

鍵の掛かったドアを引く「ガタン」という音におばぁさんが気付き
鍵を開けて出てきてくれました。

「あぁ、あんたね」
おばぁさん。あまり元気が無いようです。

「はい。明日、埼玉へ帰るものですから
最後の夕食をここで、と思っていたのですが
もう終わりのようですのでご挨拶だけ、と思って来ました。」

「昼間によ、店の看板出そうとしてひっくり返ってよ。
ほら、ここのコンクリート。これにつまづいた。
腕が切れて、病院行って縫ってきたんだよ。ほれ。」

と私に包帯でぐるぐる巻きになった右腕を見せます。

「これじゃあ、包丁握れんさ。
せっかく来てくれたのにねぇ。
今、息子夫婦が心配してきてくれたとこよ。」
と続けます。

「あぁ。それは大変でした。
ご飯が食べれないのは残念ですけど
帰る前におばぁさんにお会いできて良かったです。
でも、大丈夫なんですか?他には怪我は無いんですか?」
私は仕事柄、年配の方が転倒したと聞くと心配せずにはいられません。

「大丈夫。腕さえ治ればまた料理できるさ。
あんた。わざわざ来てくれたのに、済まないねぇ。」
とおばぁさんは申し訳なさそうに言います。

「良いんです。またおばぁさんの料理を食べるために
また沖縄に来ます。そのときは、また美味しいご飯をお願いします。
腕の怪我、くれぐれもお大事にしてください。」

そんな挨拶をして、食堂を後にします。
私が車に乗っても、走り出すそのときも
おばぁさんはずっと怪我をしていない左手を振り続けてくれました。
ハンドルを握りながら
「また来ます。また来ますよ。」
何度も心の中で言いました。

<どうする帰宅!?>

明けて翌日。
ホテルのチェックアウトは10時です。
那覇発の予約してあった飛行機は16時です。
旅行を予約したときには
「出来る限りギリギリまで沖縄で遊ぼう」
と考えていたことが、完全にアダとなりました。
この間の6時間をどうするか?

妻はつわりです。
外で過ごすわけにはいきませんし
匂いひとつで気分が悪くなるようです。
飲食店で安静に…というのも出来ません。

パック旅行ですから、飛行機を早めることも
どうやら出来ないようです。

私は考えた末、那覇空港に電話します。
「安静にしていられる部屋はありますか?妻がつわりで
気分が悪いんです。飛行機は16時なんですが」

「救護室をお使いください。
飛行機のお時間まで、いてくださって構いません」

お礼をいって電話を切ります。

すぐホテルをチェックアウトして車に乗り
那覇へ向かいます。

この日は快晴でした。
皮肉にも、最終日だけ快晴です。
58号に出ると、まばゆいばかりの
コバルトブルーの海が目に入ります。
「帰る日にこんなに天気がいいとはね。
きれいだねぇ。次は、この海で泳いでみたい」
妻が言います。

「今度は子供を連れて、三人で来よう。
そのときは、きっと天気がいいよ」

「そうだね」

もう、東京へ向かっていて
しかも妻は調子がすこぶる悪いのに
「最後にきれいな風景が見れて良かった」
そう思いました。

車は那覇へ。
レンタカーの事業所へ向かいます。
一週間、いろいろなところへ私を連れて行ってくれた
水色の日産キューブとも、いよいよお別れです。
事業所の係員に誘導されて、車を降りる前
ふと距離計に目を移します。

「999.8km」

なんと! 私は1週間の旅行で約1000kmを走破したことになります。
これには自分でも驚きでした。
水色のキューブに手を当てて「お疲れ様です」と心の中で言ったあと
妻を介助してレンタカー会社のバスに乗ります。

空港へ着くと、私だけ一目散にインフォメーションに向かいます。
「先ほど電話したものですが、救護所は使用可能でしょうか?」
「はい大丈夫です。こちらへ…」
と妻と一緒に救護所に入ります。
何日か前に漆畑さんと待ち合わせした空港内郵便局のすぐ横でした。

と、そこは学校の保健室に良く似ていました。
2台のベッドと、目隠しのパーテーション。
いすもありました。
妻をベッドに横にして、水を飲ませます。

妻が落ちいたころ、
私は急にお腹が空いてきました。
時間は午後二時です。

「ちょっと出てくるから。何かあったら携帯に電話して。」
と言い残し、空港内で昼食をとることにしました。
いろいろなお店があったのですが、私が選んだのは
沖縄料理店です。注文したのはもちろん「フーチャンプル」でした。
沖縄ではこればかり食べていた気がします。

そのあとは救護所に戻り
妻の横で搭乗手続きまで待ちます。

飛行機が離陸したとき
一応、座っていれば東京に行けることに安堵しました。
「バイバイ沖縄」

それからはもう、埼玉に帰るので必死でした。
ただ、飛行機から見えた富士山だけは今でも印象に残っています。

私は埼玉の所沢に住んでいます。
幸い、羽田からは所沢駅にリムジンバスが出ています。
電車と相当迷ったのですが、妻の希望でバスにしました。
渋滞するかと思いきや、なんと50分で所沢へ到着です。

駅から家まではタクシーです。
家に着くとすぐに妻を布団に横にします。

恩納から所沢まで。
それこそあっという間に帰ってきました。
気付いたら、家にいました。

<新婚旅行アゲイン>

新婚旅行、そして初めての沖縄で
・記録的豪雨
・妻のつわり
・結婚記念三線入手
・漆畑さんとのご対面

それこそ「こんな珍事があっていいのか!?」
ということがものすごく数多くありました。
いろんな意味で「一生の思い出に残る旅行」
となりました。

もう、調子の戻った妻は
「新婚旅行はもう一回行きたい。ほとんどホテルで寝てたから」
と言います。

もちろん、そのときはまた沖縄に行くでしょう。
今度は八重山にしようかな。

2005年沖縄新婚旅行、完
by niraikanai76 | 2005-12-26 17:56 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

三味線店めぐり<番外編>照喜名三味線店 6月21日

私達の新婚旅行も今日と明日で終わりです。
思えば、そのほとんどの時間を妻はホテルで過ごしています。
私は、1人観光と三味線店めぐり。
「夫失格」の文字が…頭をよぎり…ませんでした。

さて、昨日デジカメを照喜名三味線店の作業場に忘れたので
取りに行かなくてはなりません。
デジカメを忘れていなくても、行ったでしょうけど。

今日の天気はまずまずです。
晴れの時間が、長いです。
こんな風景、妻にも見せたかったです。

まず、午前中にそのほかの三味線店を回ります。
「今回は、他で決めてしまいました。
せっかくお話を聞かせていただいたのに、どうもすみません。」
回ったお店全ては無理だったのですが
見て回ったお店何軒かに
こういうことを言って回りました。
行けなかったお店にも、電話でお礼をします。


そうこうするうちに時間はもう午後に。
遅い昼食を、またまた与那原のjefで食べます。
「ゴーヤーバーガー」
もちろん、美味しかったです。

<心震える三線>

佐敷郵便局に到着です。
今日は、訪問する気持ちにも余裕があります。
もう、三味線は決めてしまったのですから。

お店の入り口をのぞいて見ます。
お父さんの朝福さんは不在のようです。
いったんお店を出て、脇のスロープから作業場へ降ります。
降りている途中からかなりの音量で「てぃんさぐぬ花」が
作業場の中から聞こえてきました。

作業場の中には朝栄さんを含めて3人の男性がいます。
昨日はお休みだったのでしょうか。聞けば三味線作りのお弟子さん
のお2人だそうです。

「明日、埼玉へ帰ります。帰る前に、ご挨拶に来ました。」
「あ、明日帰るの。」
「あと…ここにカメラを忘れてしまって。申し訳ないです。」
と作業場の中を見渡します。
「これじゃないですか?」
若い方のお弟子さんが手渡してくださいました。
「あぁ、あった。良かった。すみません。」

「休憩な」
私が来たことで、作業場は休憩になってしまいました。
「気を使っていただかなくてもいいですよ。
挨拶と、カメラのことでお邪魔したんですから」
「いいさ。どうせ休憩時間だし。」
時計を見ると、午後三時でした。

一人のお弟子さんはお若い方で、京都から。
もうお一方は、沖縄の方だそうです。
「この人よ、昨日この三線注文したんだよ」
朝栄さんがお弟子さん2人に木を見せていました。
私も一緒に改めて原木を見てみます。

「この形から、どこを一番最初に削るんですか?」
「ここ」
と朝栄さんの指差す先は、まだ穴の開いていない
糸蔵の部分でした。
「こっちとこっち、交互に削っていくんだよ。
片一方ばかり削ると、バランスが悪くなる。」
とそれぞれ天とチマグを指差して教えてくれました。

せっかくお弟子さんがいるので
私はこんな意地悪な質問を若いお弟子さんにしてみました。
「先生の三味線は、やっぱりすごいですか?」
「オレがいたんじゃぁ、答えにくいよなぁ」と朝栄さんは笑います。

「いや。すごいですよ。自分のは、まだうわべだけです。
形を真似している段階ですから。形は真似していても、まだまだですし。
教えてもらったときに、『ここはこういう理由でこうなる』と教えてくださいます。
私は形を似せるので精一杯なんですけど、いろいろな工夫が三味線の中で
されていてそういう形になっているんだ。と気づくと、とてもすぐにはまねできない
ものだと気づくんです。」

「おめぇも、やり手になってからに」と
朝栄さんもお弟子さんの成長を喜んでおられるようです。

「あ、そうだ。あんた、棹を写真に取っておけばいいんじゃないか?
三線にしたら、もうこの姿は見れんよ」
と朝栄さんが提案してくださいました。

あ、そうか。この姿は、もう見れないんだ。
「はい。そうします。」
そそくさとデジカメを出して、作業台の上でパチリ。
と、この記事に画像添付しようと思ったのですが
容量オーバーで、無理でした。

「この棹と朝栄さんと一緒に撮影したいのですが…」
とお願いして、こちらはお弟子さんに撮影していただきました。

作業場の中でお話をうかがっていたのですが
「コーヒー淹れたから、飲んでって」
とうれしいお誘いをいただいて、お言葉に甘えさせていただきました。
朝栄さん、お弟子さん2人、私。と4人で作業場の外の
テーブルでコーヒーをいただきながら、三線談義です。

「朝栄さんを信じていないわけではないですが…
原木から三味線を作るっていうのは、なんだか不思議な気分ですね。」
私はこんなことを言ってみました。
「初めてでは、不安だろう。
でもよ、心震えるような三線にして送るから心配いらんさ」
頼もしいお言葉です。

話は、ミンサー織りのティーガーに。
沖縄出身のお弟子さん。民謡をどなたかに習われているようです。
朝栄さんも民謡の先生なのですが、どうやら朝栄さんが先生ではないようです。

お弟子さんが話し始めます。
「コンクールの時に。ミンサーのティーガー巻いた三線使ったのよ。
立って歌うコンクールよ。課題曲の最後の歌持ちを弾いてて
『もう、そろそろ終わりだなー』って思ったら、弾いていた三線が
腰からずり落ちて、ガタン。床に落ちたのよ。
コンクールは落選。弾いてる間もズルズルしていたけど。
もう、ミンサーのティーガーは二度と使わんさ」
と笑っていました。

考えてみれば、ティーガーもいろんな種類がありますもんね。

と、そこへ朝栄さんの奥様がいらっしゃいます。
「かりゆし娘、よろしくね」
私に名詞をくださいました。
さっきから、作業場のコンポから流れてきていた音楽は
この「かりゆし娘」の演奏で、今度CDデビューをされるんだとか。
さらに、この三人娘の方々は朝栄さんの民謡のお弟子さんなんだそうです。

三味線を作りながらも、このユニットのライブで
本土にも何度か行かれているそうです。


「あんた…」
と朝栄さんが切り出します。
「一度動いて(捻れて)また元に戻った木があるけど、
見せてあげようか」
と言います。
私が知っているのは
「一度棹がねじれたら、調整しないと元には戻らないはず」
ということです。

でも朝栄さんは
「一度動いて、放置しておいたらまた元に戻っていた。」
と言います。
見るからに普通の棹でした。
尾の方から、トゥーイを見せていただきましたが
言われなければ、捻れていたなどとは気付かないでしょう。

「考えてみたらよ。この木は根っこのほうの木なんだなぁ。
と思ってよ。」と朝栄さんはいいます。
根っこのほう。つまり水分の出入りが激しいということを教えていただきました。
寝かせている間にも、いろんな変化があって勉強になる。
とおっしゃっていました。

普通にお話させていただいているのですが
三線にまつわることのひとつひとつについて
大変一生懸命な職人さんだなぁ。
と感じました。

改めて、自分の注文した三線が出来上がるのが
楽しみになってきます。


まだまだ、いろんなお話を伺いたかったのですが
お弟子さんも含め、三人の方の作業が止まったままです。

名残り惜しいですが、この辺で失礼することにしました。

「私は明日、東京に帰ります。
三線、楽しみにしています。
よろしくお願いします。」
と挨拶しました。

「あんたは三線をやる人なんだから
沖縄に縁のある人なのだ。
うちで三味線も作ることになったし。
また、必ず遊びに来なさいよ」
と言っていただきました。

「はい。必ずまた来ます。
ありがとうございました。」

深々と頭を下げ、お礼を言って作業場を後にします。

自分の納得のいく職人さんに出会えて
三線も注文できて、何もかも無事に済んだのですが
心の中で、どこか三線を探していた昨日までの状態が
懐かしかったですし「もう、三線を探さなくていい」と
わかると、とたんに寂しくもありました。

佐敷郵便局の駐車場は
夕日に照らされて、土の匂いがしていました。
by niraikanai76 | 2005-12-23 21:07 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)