唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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某サイトでは…

私が大変お世話になっているサイトでは
「沖縄音楽とそれ以外の音楽」という分類をしている人は若干沖縄民謡症候群である可能性が高い。らしい。
ここです
「変な自分に気づかない」の記事。

私もついにそういう分類の仕方になってきてしまったようだ。
沖縄音楽以外のもの。これらは沖縄民謡歴二年より遥かにお付き合いが長い。
そんな音楽たちについてお話したい。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 16:38 | 沖縄以外の音楽のこと

ボコボコ蹴る

最近、妻のお腹は驚くほど出っ張ってきた。
赤ん坊が順調に成長している証だ。
その赤ん坊、なぜか毎日決まった時間になるとお腹の中で暴れているらしい。
大体午前10時と夜の8時~9時の間。
何かお腹の中で定時にこなさなきゃならない仕事でもあるのだろうか?

あとは最近、赤ん坊のお気に入りの曲を発見した。
沖縄民謡「唐船どーい」。
これをステレオで聴いていると必ず何時でも暴れだす。らしい。
この曲は沖縄のカチャーシー曲なので確かにノリの良い曲だが、他のカチャーシー曲ではびくともせず、この曲には必ず反応する。らしい。

不思議なことがあるものです。
生まれてきたら、父ちゃんの演奏で聴かせてあげよう。
練習しなきゃ、だめですね。
無反応だったら…ちょっとショックですね。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 16:04 | 父親になった

いざ沖縄へ

結婚が今年の4月だった。新婚旅行は6月に沖縄を予定していた。
この沖縄旅行には、新婚旅行以外に重大な用事が含まれていた。
「結婚記念三線」を購入することである。

沖縄に旅立つ半年以上前から、沖縄の三味線店に電話して問い合わせたり漆畑さんにメールで相談に乗っていただきながら色々考えていた。
ある日、漆畑さんからのメールに「旅行のご予定が6月の第3日曜・月曜に合うようならご連絡ください。お供できるかも知れません」とメールをいただいた。

私は早速妻に相談し、「楽しそうだ」と言う妻の快諾を得て
その日程に旅行を入れるように手配した。
めでたく、メールでお世話になっている漆畑さんと新婚旅行の沖縄でお会いして三味線店巡りに同行していただくという、なんとも贅沢な旅の予定が出来上がった。

当初、私は漆畑さんも沖縄に何らかの用事があって訪沖されるのだと思っていたが、どうやら三味線店めぐりのためだけに来ていただいたようで大変恐縮してしまった。

こうして、沖縄の旅に旅立つ日がやってきた。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 15:55 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)

公園、それは練習場

晩秋~冬以外、私は近所の公園で練習している。
三線はベースやギターのような電気楽器に比べれば音量は小さいがやはり楽器は楽器。
アパート住まいの私は家で三線を弾くことはしない。

今年6月の沖縄旅行の際、本部町のある三味線店で「このへんで夜、家の中で三線弾いて苦情は来ないんですか?」と質問したら爆笑され「来ないよ~。やんばるだし。那覇は知らんけどね~」と教えていただいた。うらやましい環境である。

公園で練習していると、以外に沖縄出身者って多いんだな~。と思ってしまう。
2003年からいままで2年間、公園でお会いしただけでも20人近い。
石垣島・宮古島・沖縄本島だと那覇(多数)・南風原・浦添・名護・宜野湾
の各出身者の方々に声をかけていただいた。

私が弾いているところに走ってやってきていきなり「ウチナーンチュ?(沖縄の人ですか?)」
と聞いてきた人もいる。大体、「沖縄から?」と聞かれてしまう。
いや~三線のインパクトはすごいです(笑)

公園で練習していると、立ち止まって聴いてくれる人もいる。
中にはリクエストしてくれる人も。「芭蕉布できる?あれ、好きなんだよね~」など。
私は沖縄本島の民謡を練習している。別に教室や研究所に通っているわけではないので独学である。俗に言う「沖縄ポップス」はあまり弾けないし歌えない。

でも、大体公園でリクエストしてくれるのはポップスの唄が多い。最初は「ごめんなさい。唄、出来ないんです。でも楽譜はありますから三線だけ弾きます」と言って演奏していた。
最近はリクエストに答えられないと悔しい気分がするようになってきた。
自分が練習している曲をリクエストしてもらえればよいのだが、埼玉の公園で唄三線している人に「すみません。山原汀間当やってください」なんていう人はまず、いない。

だから最近はポップスも良く練習する。不思議と立ち止まってくれる人も増える。
でも、まだ苦手だ。ポップスはCDのの演奏は豪華だが、自分でやると三線と自分の唄だけ。なんだかわびしくなってくるのだ。

「涙そうそう」を嬉しそうに聴いてくれた人に対して「本部ナークニーも、いい曲ですよ」と言ってしまいそうになるのを必死でこらえる自分がたまにいたりする。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 15:32 | 唄三線

沖縄で発覚

2005年6月24日
「あなたは父親になりました」
妻に宣告された。
折りしも6月16~23日、我々夫婦は沖縄新婚旅行中であった。
その19日から妻につわりのような症状が出てホテルで寝込む。最初は沖縄と本土の風土や気候の違いで具合が悪くなったのだと思っていた。
私はホテルに妻を残し、最終日まで沖縄を堪能させてもらった。
東京へ帰る日、朝一番で那覇空港へ。そのまま夕方の飛行機まで空港の「救護所」という学校の保健室みたいなところで休ませていただいた。
別な意味で一生思い出に残る新婚旅行となった。

2005年11月現在
「ほぼ男の子で間違いないでしょう」
とのこと。

6月の沖縄旅行のときから腹の中で子供と付き合っている妻に対して私はというと…
仕事→食事→三線という調子
ぜーんぜん父親の自覚がありません(笑)
# by niraikanai76 | 2005-11-30 14:42 | 父親になった

介護を仕事にしている

私は介護を仕事にしている。
施設介護だ。

仕事柄「何のために人は生きているのか」を考える機会が多い。
哲学的な命題である。亡くなってゆくお年寄りを見て「こんな最期で良いんですか」
と言いたくなるときもあった。
私はお年寄りが生きてこられた70~80年、また90年の
その中のほんの数年のほんの一部でしか関われない。
そんな人生のなかで長年大切にしてきたその人その人の習慣が誰しもあるはずである。
若造の私がその人を見て、また他の職員がみてどう思うか。それでその人のケア計画が決まるのはちょっとおこがましいな。と最近考えている。
その人が大切にしているものは何か?
よくよく考えなければならない。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 14:32 | 介護のこと

2003年9月のメール

2003年9月、私は買ってきた三線と悪戦苦闘していた。
何せ、三線のことは何も分からない。
サイトで検索していると「いちにの三線」の文字が。

迷わずクリック。そのサイトは独学三線をしているものにとってはバイブルともいえる内容であった。でも、サイトを見ただけでは分からないことも多々あった。「分からないことがありましたらメールください。内容を充実させたいと思います。」の文字を見た五分後には私はアウトルックを立ち上げ、メールを打っていた。

今考えれば「お前、そんなことも知らないのか」的な内容であったが、管理者の漆畑さんは懇切丁寧に私の質問の答えてくださった。今現在もメールのやり取りをさせていただいているが、当時はこの御仁と沖縄旅行を供にして頂くとは、夢にも思っていなかった。
お世話になりっぱなしで恐縮している。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 14:03 | 唄三線

酔狂歌人のこと

沖縄民謡界の重鎮、嘉手苅林昌氏(故人)
独特の歌いまわしの芸風、言動から「風狂の吟遊歌人」とも称される。
私は彼の大ファンである。

酔狂歌人

1976年11月生まれ
埼玉在住
アルト・テナーサックス→ベース→唄三線と、音楽と付き合う。
介護職
# by niraikanai76 | 2005-11-30 13:52 | 酔狂歌人のこと

三線を手にする

身近に沖縄フリークがいた。以前勤めていた会社の同期のH生田である。
彼が、結婚記念に奥さんに三線を買ってもらったらしい。
初めて聴く生の三線の音。とても心地よかったのを覚えている。
大学のときに沖縄関連の講義(本当は「国際安全保障論」)を受講していたとはいえ、特に沖縄音楽に興味は無かった。でも、彼の家でかかっていた沖縄音楽(確かビギンだった)は本当に心地よかったし、彼が爪弾く生三線の音も気に入っていた。

2003年当時、私は介護の仕事を目指していた。介護施設での勤務は変則的で、土日仕事なんていうのはザラ。ベースを弾かないか?と何人からか声はかけていただいていたものの、これから先の自分の変則的になるであろう予定を考えると気安く返事はできず全てお断りさせていただいていた。後々、迷惑をかけるわけにはいかない。私の周りの人たちは大体土日にバンド練習をしていた。

この先、音楽を趣味にしていくのは変らないとしてもベースで音楽参加する場が無いのには困った。ご存知の通り、ベースは裏方楽器である。ボーカルなり、メインの楽器なりの伴奏が主な役割だ。家やスタジオで一人弾いていても楽しくはない。
何か一人でやっていて楽しい楽器はないか。そんなことを考えるようになっていった。
ギターは挫折した。ピアノは無理そう。ドラムは論外…なんてことを考えていたが、気づいたら四万近いお金を払い、三線を手にしていた。

唄三線との付き合いが始まった。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 13:32 | 唄三線

三線の不思議

いつから三線に興味を持ったのか…

大学のときに「国際安全保障」の講義を受けていた。
教授は高齢で、講義のほとんどを「沖縄戦~基地問題・日本の安全保障」
という今にして思えばかなり限定された範囲での、言ってしまえば「極端な安全保障論」だった気がする。ぜんぜん「国際」ではなかった(笑)

新学期から日を追うごとにどんどん受講者が講義に出てこなくなる中、自分はこの講義に欠かさず出席していた。サークルの時間にかかってしまう遅い時間の講義だったのに、サークルを犠牲にしてまで出席していた。サークルのためなら講義を平気で休む、下手すれば一日自主練習に明け暮れていた当時の自分を考えると、この講義への出席率の良さは
ちょっと異常である。

なぜ、皆勤に近い出席率だったのか。
単純です。講義が面白かったからです。
受講者が少なくてもこの教授はとても熱心なかたで沖縄戦当時の写真や映像資料、破損してしまった文化財の写真など、沖縄に関して少し詳しくなった今にして思えば「この先生しか持っていないんじゃないか?」というような講義材料を毎回持参して、見せてくれたのである。歴史・文化的史料好きのわたしにとっては大変面白い講義だった。

ある日の授業で教授が持参した写真に棒のようなものが写されていた。
「え~、これは沖縄の三味線。それの柄の部分です。沖縄の古いお墓から戦争の直後に発見されました。沖縄の人は、三味線を家宝にする人が多くいました。戦渦の中、逃げながらお墓に隠したんですね」と淡々と説明した。簡略して書いているが、そのときに教授は沖縄の三味線は胴やほかのパーツよりもこの「柄(棹)」の部分が一番大事にされているなどのマニアックな説明もされていた。(沖縄のお墓にどうやってそんなもの隠すのかは、ネットで沖縄のお墓を検索してみてください。きっと納得していただけるはずです。)

これに私は大変な衝撃を受けた。
「自分の命が危ないのに、どうして三味線なんか持って逃げるのか」
当時、私はモダンジャズ研究会に所属してベースを弾いていた。もし今、戦争になっていたら、正直ベースなんて長くて邪魔なものは真っ先に置き去りである。
沖縄の人がそこまでする理由は何なのか?また、沖縄の人にそこまでさせてしまう三味線には一体どんな魔力があるのか?
大学を卒業しても社会人になっても、楽器を嗜む者としてずっと疑問だった。

大学を卒業し、唄三線をするようになってから三線を持って教授にお会いして唄を披露してきました。ちょっと嬉しそうに笑いながら「まだまだじゃないか」
とつぶやいた横顔が忘れられないです。

…唄三線をするようになった今、その沖縄の人たちの気持ちは…正直まだ理解できません。
きっと、島に住み続けて代々唄三線をいろんな風景の中で見ていないと分からないんじゃないかと思っています。
# by niraikanai76 | 2005-11-30 13:09 | 唄三線