唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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三味線店めぐり⑪銘苅三味線店(玉城村) 下巻 6月20日

<作業場にて>

店主は、作業場に入ると
入り口から正面にあたる一段高くなった場所に座ります。
私は入り口から見て右側の一段高くなった板の間の縁に腰掛けました。
「私、埼玉から三味線のことをお伺いしたくて来ました。
漆畑さんと一緒にお伺いする予定だったのですが、
あちらは別の車でもう少し掛かるようですので、
私だけ先にお邪魔しました。」
「そう。埼玉は、遠いね。あの人はまぁ、そのうち来るさ」

私の正面の壁に、長い蛇皮が掛けられていました。
「この梅雨のせいで皮は張れないから、そのまま掛けてある」
と店主は言います。ここだけではなく、
どこのお店でも同じような言葉を聞いていました。

「ここは銘苅さんのご自宅ですよね」
「そうさ~。だから庭の手入れしていた」
「もう、ずっとここにお住まいですか?」
「うん。子供のころからね。随分長いよ。
戦争のころも、ここに住んでいたし。」
戦争の、その真っ最中もこのご自宅で暮らしていた。と店主は言います。

私の知識では、ここ玉城を含む沖縄本島南部は
沖縄戦でも最大の激戦地だったはず。
「家で普通に生活していた。」という店主の言葉は意外でした。
「壕とかに、逃げずに?」
「壕は余計危ない。たまに上を砲弾が飛んでいたけど、家で生活するほうが安全」
こんな話を、するつもりは無かったのですが
店主は「戦争を知らない私」に色々貴重なお話を聞かせてくれました。

「漆畑さんからは、銘苅さんのところは運が良くないと出来上がった
三線は見れない。と聞いていますが、今日は見せていただくことは出来ますか?」
と聞いてみます。
「弾けるのは無いけど、棹だけなら。ほら、ここに」

その店主の指差す先を見ると、完成された棹が
立てかけられていました。
順番に見てみます。4本ありました。
全部与那城型です。どの棹もマットブラックで
鈍く輝いています。塗りが違うようです。
よく見かけるような「テカテカした塗り」ではなくて
「つや消し」のような渋い感じです。
店主の仕上げた美しい形にその塗りはとてもマッチしていて
ある意味、オーラが出ていました。

「どうやってやると、こういう渋い感じになるんですか?」
「漆を塗って、拭きあげるわけ。だから、膜のようにならない。
良く見てみて、木の目地が見えるから」
私は目を凝らして棹の表面を見てみました。
なるほど「薄い塗装」が施されたように、うっすら木目が見えます。
「かっこいいですね。」
素直に感想を漏らした私を、店主は笑顔で見ています。

「全部同じじゃない。これはロー上げの棹」
と見せていただいた棹は、他の3本に比べてもっと深い輝きがあります。
鈍く、それでいて風格のある輝き。
棹の心を見ますと、棹の持ち主の名前と日付、それに「還暦記念」
と彫られ、朱の墨で文字が際立っています。
「持ち主の人の、記念品さ」
と教えてくださいました。
これの棹であれば、最上の還暦記念になるでしょう。

「これはワシが作ったんじゃないけれど、皮を張った」
と三線を見せてくださいました。
棹の木は忘れてしまいましたが、人工皮が張ってあります。
「お客さんが、よそで買ったのを鳴らないからと張替えに送ってきた。
胴の内側も削った。人工皮なのに、キンキンしないよ。
弾いてごらん」
と店主はその三線を私に手渡します。

もう、私の中からある種の「恐れ多さ」みたいな気持ちは消えていました。
店主は琉球古典音楽の重鎮であり、三線工としても有名です。
でも、そういうことを感じさせない大らかな雰囲気がこの店主にはありました。
少なくとも、私にはそう感じられました。

三線を受け取りながら
漆畑さんのサイトに載っていたお話もしてみます。
「銘苅さん、ボーリングで国体に出られたっていうのは本当ですか?」
「うん。でたよ。」
「ボーリングして、南風原から徒歩で帰られた。と聞きましたが。」
「うん。那覇も歩いて行って帰ってくるよ。昔はみんな、歩きさ」
「すごいですね。失礼ですけど、お年はおいくつでいらっしゃいますか?」
「いくつに見える?」
自分の思ったとおりに答えたわけですが、見事にはずれです。
かすってすらいません。
店主から返ってきた答えに、私は驚きました。
その年齢で、体を動かせない人が何人もいるのは
私は職業柄、知っています。
その年齢にぜんぜん見えません。十はお若く見えるでしょう。

三線を調弦して弾いてみます。
張りがあって力強い音がしました。
「良い音しますね。良く響きます。」
店主は笑顔です。

店主に、私の予算を告げ
「どんな三線が出来ますか?」と聞いてみました。
「ここにあるような木になるかなぁ」
と足元に置いてある角材を見せてくださいました。
縞黒らしきもの、黒木らしいものが雑然と置いてあります。
「これ」と渡された木は黒木のようでした。シラタが混じっています。
「黒木だよ」と店主がいいます。


<到着>

木を見せていただいた後
再び私が三線を弾いて店主とお話してるところへ
「こんにちは~」と漆畑さんとシンイチさんが到着です。

「この三線、すごいですよ。」
と漆畑さんに手渡します。
「良く響きますねぇ」

「真壁はここが狭いんだけれども
銘苅さんはね、ここをのびのびさせた方が良いとおっしゃるんだ」
と漆畑さんが私とシンイチさんにその三線の糸蔵の部分を見せます。
「…あれ?あれ!?」
漆畑さんが驚いています。
私はその違いが分かるほど多くの三線をみていませんので
違いが良く分からなかったのですが、
その三線の糸蔵部分は狭くなかったようです。

店主は笑顔で座ってボソッと言います。
「うん。そこも直した」
張替えに出された三線の糸蔵も、直したらしいです。

私はすでに見ていましたが
漆畑さんとシンイチさんは、今到着したばかりです。
先ほど、私が見せていただいた4本の棹を見ていました。
塗りの話や、形の話。私は側でやり取りを聞いていました。


<方言講座>

私達が銘苅さんとお話していたちょうどその時
作業場の入り口から一人のおじさんが入ってきました。
方言で銘苅さんと会話しています。
外国語のようで、私には会話の内容はさっぱり分かりません。

銘苅さんとの会話が終わったのか、そのおじさん
私のほうに向き
「△※×□?」
何か言いました。さっぱり分かりません。
漆畑さんが通訳してくれました。
「どこからきたのか、とおっしゃっています。」
なるほど。この時は聞き取れませんでしたが
旅から帰った後、いちにの三線の記事を読んで
おじさんが「まーからか?」と私に聞いていたのだ。と知りました。

「あ、埼玉からです。」
「あい、埼玉ね。友達がいるよ。東京にもいる。」
「三味線をするの? どうして内地の三味線はしないのか?」
と今度は共通語でお話してくださいました。

「知識では知っていても、実際に沖縄方言を聞くとわかりませんね」
と私が言ったので、銘苅さんの「方言講座」が始まりました。
「私」というのは沖縄では「わー」というけれど。
「内地の人が言うと、違って聞こえるんだよ」
と教えてくれました。
「あんた、わー と言ってごらん」
私「わー」
銘苅さん「違う違う。わー」
私「わー」
銘苅さん「うーん。まだまだだねぇ」
あんたも言ってみなさい。銘苅さんはシンイチさんにも言います。
「わー」

こんな方言講座もとても面白かったです。
シンイチさんは午後から琉大で授業があるそうです。
とても楽しい時間ですが、ここでおいとますることになりました。


「今度は鳩間でな」
「はい。待ってます」
「シンイチさん。ありがとうございました。」私もお礼を言います。

シンイチさんは琉大へ、漆畑さんと私は最後の三味線店めぐりのため
それぞれ車を出して、走り出しました。

今回の三味線店めぐりは、いよいよ最終に近づいてきました。
by niraikanai76 | 2005-12-18 17:11 | 沖縄新婚旅行(三線探しの旅)