唄三線のある日常。        愛器「二つ星小」          (たーちぶしぐゎー)。         


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唄を育てる

唄三線を、独学で練習していると
自分の唄に対する自分の評価は甘くなりがち、だと思っている。

私も例外なく、CDで聴くのと全然違う音程で自分が唄っていたり
三線の音程と声の音程が違っている部分が頻出する曲などはなどは苦労していて、
練習してはいるがやはり苦手なものは克服できていない唄が多い。
こういうことが気になりだすと、克服したくなってくるのだが
それでも「克服」はそんなに簡単ではない。
たやすく克服できたら、苦労はいらない。

「修行」をしているわけではなく、唄三線を「楽しんでいる」のだから
そういう「自分の苦手な部分」に対していちいち細かく神経を使っていると、
だんだん楽しくなくなってくるときもある。

でも「苦手な部分にいちいち細かく神経を使う」というのが
「楽器・音楽の上達への道」ということは、今までの音楽経験で
いやというほど思い知らされている自分が、いる。

ではどうするのか?
普段、私の唄が「全然ダメ」でも
とりあえず唄三線をしていれば、私は楽しい。

大学時代、モダンジャズ研究会の先輩が
私にこんなことを言ってきたことがある。

「いくら練習してもしても、出来ないフレーズとかって、あるよな。」

私「はい。まぁ、そういうのは、ありますね。苦手…というか」

「あるよな。でな、そういうフレーズとかはオレは寝かせておくことに
しているんだよ。」

私「寝かせる?」

「うん。あえて練習しないの。ずーっと、しばらく。」

私「で、それで出来るようになるんですか?」

「うん。出来ないことが全部できるようになる。ってことはないと思うけど、
それで出来ちゃうときも、あるよ。」

私「いや、それは嘘だ。練習しないで出来る。なんて。からかっているでしょう?」

「ためしにやってみれば?」


私には、この先輩はふざけているか、もしくは怠けているのか…当時はそういうふうにしか
思えず、とにかくこの時のこの先輩の言葉は、信用しませんでした。

でも、先輩の言っていたことは今ならなんとなく分かるのです。
苦手な部分を「叩いて叩いて、苦手かどうか分からなくなるくらいまで、練習する」
というのも、上達への道なはずです。
というか、それが上達への正道なのではないかと思います。

でも、「個人で音楽を楽しんでいる」というレベルだと、
そういう「ストイックな練習」は、嫌気が差してくる事があると思うのです。
「発表会がある」「コンクールがある」という環境にある人は
上記のような練習方法を採用するのでしょうが、明確な目標を持ちづらい
「個人の趣味の世界」では、楽器の上達よりも
モチベーションを維持し続けることの方が、遥かに難しいときもあるのではないか
と思うわけです。仕事も家庭も持った、生身の人間が
音楽をやっていることもあるのですから。

学生にして「社会人の楽器の楽しみ方」を教えてくれた先輩に
私は今更ながら、感謝しているわけです。

「モチベーションが下がりそうなとき」にまで、「出来ない部分を叩いて叩いて…」
というような練習をすることはない。と。

では「この曲をやりたい。
かなり練習はしてみたけれど、全然出来ない…。」
という場合は、どうするのか?
私の先輩が言っていたように「寝かせておく」のです。

私は、唄三線を始めたころ「海のチンボーラ」を練習しました。
この曲は今も大好きな曲なのです。
練習して止まらずに、三線も弾けて唄も唄えたのですが
自分の演奏をMDで聴いたら…それはそれはお粗末なものでした。

いまでもこの曲をたまに歌いますが、唄三線を始めたばかりの頃よりも
ずいぶん慣れて多少は上手に歌えるようになったと自分では感じています。
特別に「海のチンボーラばかりを練習していた」というわけではないのですが。

どういうことかというと、
「唄三線自体をやっている間に、唄三線自体に慣れてくる。
他の練習を通じて技術が身に付き、出来なかったことや
苦手だと思っていた曲にも、自分が知らない間に
対応できるようになっていることもある。」
ということがあると思う。ということを言いたいのです。

私の先輩が言っていたことの本質は
「出来ないものを無理してやり続けても楽しくない、時もある。
そういうときは、得意なフレーズ・好きな曲を練習していた方が、楽しい。
どんなフレーズや曲を練習しているにせよ、ピアノを弾くことには変わりないのだから」


ということなんじゃないのかなぁ。と今は思っています。

「苦手な唄は、練習する」が一般的ですが
苦手な唄は「寝かせて育てる」
私も、実践し始めています。

しばらく時間が経てば、古酒のように熟成された歌になっているかもしれません、
いや、「腐る」ということも、考えられるかもしれませんね。

「独学でも、上達こそが自分のモチベーションの源だ」
と思える時期には、ストイックな練習を。
「いや~。難しいなぁ、この曲。果たして自分はできるようになるのだろうか。」
とネガティブになりそうなときには「楽しい」と思える唄三線を。

今の私の唄三線への姿勢です。
by niraikanai76 | 2006-02-03 00:05 | 三線独学のススメ