酔狂歌人の唄三線日記:沖縄考
2006-04-05T23:39:57+09:00
niraikanai76
唄三線のある日常。 愛器「二つ星小」 (たーちぶしぐゎー)。
Excite Blog
布も、面白い
http://utasansin.exblog.jp/1632900/
2006-04-05T23:31:00+09:00
2006-04-05T23:39:57+09:00
2006-04-05T23:31:30+09:00
niraikanai76
沖縄考
澤地 久枝 / 新潮社
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この本を読みました。
布の事など、普段は興味も無い私ですが
沖縄関連となると、これが俄然楽しくなるのはたぶん病気でしょう。
布。というのは生活に密着した文化(生活文化)
だと思います。芸能なども文化ですが、これはある意味で
無くてもそれはそれで生きていけます。
しかし、原始時代はともかく。それなりに文明の発達した時代で
「布なし。着衣なし。」というのはおかしいでしょうね。
布はいつも、どの地域でも「生活必需品」なのです。
布。は地域によって、個性があります。
寒い地域の布。→主に寒さをしのげるようなもの。
暑い地域の布。→風通しが良く、汗をかいても着心地の良いもの。
こういう工夫がなされていると思います。
それだけでは物足りないので、染や織といった技術を用いて
その地域独自の模様や色を布にあしらっているわけです。
沖縄は、布においても独自の文化を持っています。
・芭蕉布 ・八重山上布 ・宮古上布
・久米島紬 ・琉球絣 など。
さらに、染や織というものも加えると
・紅型 ・読谷山花織 ・琉球藍 ・首里織 ・与那国織
とこれまた多彩です。
どれも技術的に洗練された素晴らしい伝統工芸品です。
沖縄に「テーゲー」などという言葉があることが信じられないくらい
緻密で繊細で、それでいて大胆なデザインの染や織があるのを知りました。
これまたマニアックな話ですが、この本は写真つきで
インクの発色の良い紙を使用して、写真を生かしています。
沖縄の布はこれまでに
「戦火」や「安価布の普及」といった理由から
布や染・織の存続の危機に瀕したものが少なくありません。
その危機に瀕した伝統工芸を今に伝えた人々の多くの物語が
この本には掲載されています。
舞踊や民謡も、無縁ではありません。
衣装は全て、伝統工芸の布製品です。
歌も布も、様々な人の様々な熱い思いによって
今日まで受け継がれてきたのだなぁ。
と感動しました。
三線工もそうだと思うのですが、布は三線以上に
「後継者問題」が深刻のようです。
沖縄の素晴らしいものが、今後も長く
受け継がれていくことを、願っています。
注:この本は、今月で絶版となります。
文庫版(文庫は絶版になりません)は普通に販売されていますが、
単行本の新品は少なくなっています。
読みたい方は、お早めに購入されることをオススメします。
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安全保障
http://utasansin.exblog.jp/1428827/
2006-03-25T21:29:01+09:00
2006-03-25T21:45:09+09:00
2006-03-25T21:29:01+09:00
niraikanai76
沖縄考
私も、そう思います。
「安全保障」
という言葉があります。
私は大学時代にこの「安全保障」の講義を受けていました。
勉強すると分るのですが
「安全保障」というものを考えるとき、
ひとつの大前提があります。
参考までに…(外務省のHP)
それは
「はじめにリスク・脅威ありき」
なのです。
考えてみれば、当り前のことですよね。
「リスク」や「脅威」が無ければ(無いと思えば)
自分達の「安全を保障しよう」とは思わないでしょう。
「安全」をあえて「保障」する必要の無い状態なのですから。
沖縄戦では、日本軍が沖縄の住民の「安全保障」をしてくれると
当初は考えられていました。でも、違いました。
現代では、米軍が日本の「安全保障」をする。
ということになっています。
でも、事実は…沖縄と米軍との関係の歴史を見れば
「安全」を「保障」してくれている。とは思えません。
私は、戦争は嫌いです。
今、国際的に「リスクである」と考えられている人たちも
実際には「そうではないのだ」と信じたいです。
でも国家レベルで物事を考えなければならない人たちは
「国家の安全保障」を考えます。
でも、私は「安全を保障する必要の無いように、なって欲しい」
と思っています。
ここの部分で、同じ「国民」であるのにも関わらず
考え方の相違が生じます。
話が全く噛み合いません。
大学時代の教授は
「安全保障は、突き詰めると人を信じる。信じない。性善説。性悪説。の話になってしまう」
といっていましたが、これは面白い言葉だと思いました。
人間が信じられないから、武器を持つ。
人間が信じられないから、鍵をかける。
人間が信じられないから、暗証番号がある。
「安全保障」はなにも「国家紛争」だけの問題にはとどまらない。
というわけです。
人と人が信じ合えればなぁ…。
などと思っている私などは「甘い」と言われてしまいそうです。
が、本気でそう思っています。
知人と話をしていたときに
「安全保障は、はじめにリスクありきで…」
と私が切り出したら
「一体、誰のどんな安全が保障されるんだろうね」
と知人が言いました。
これは、核心をついた言葉です。
「国の安全を守る」
そう言いながら、多くの「守られるべき人たち」が傷つき
倒れ、犠牲になった歴史など、山ほどもあるのだから。
ミサイル防衛。
有事法制。
これらが整備されても、有事の際に
結局「誰もが無傷」などということはあり得ない。
武器を無くさない限り
真の安全保障は訪れない。
「安全保障」を一応学んだ私の考えです。
…争いごとは戦争ではなく
国家元首同士の「野球拳」で決めてくれないかなぁ。
で、それを全世界にテレビ放映…。勝負が付くころには
笑いすぎて問題もどこへやら…。こんなふうなら良いのになぁ。
などと、講義中に考えていた私は不真面目です。]]>
何ですか、これは。
http://utasansin.exblog.jp/1412787/
2006-03-24T21:52:45+09:00
2006-03-25T01:36:06+09:00
2006-03-24T21:52:45+09:00
niraikanai76
沖縄考
というものをご存知だろうか。
先日、神戸の沖縄物産店で
これが売られていた。
これを見たとき、
純粋に私は「何だろう、これは」
と思った。
ビニール袋に、なんだか「わら」のようなものが
数本、縛られて入れられていた。
袋には、たしか「サンギ」と書かれていた。
「何ですか、これは?」
と、同行してくださった漆畑さんにお聞きした。
「私はこれがお土産として売られているのを初めて見たときには、驚きました。」
とおっしゃる。
続けて「サンギ」について簡単に説明してくださった。
詳しく知りたくて、自宅に帰ってから
オキナワなんでも事典
池澤 夏樹 / 新潮社
スコア選択: ★★★★
で調べてみた。
なるほど「お土産として売られていて、驚いた」
というその理由が良く分った。
「サン」「サンギ」。久高島では「サイ」。宮古島の宮国では「マータ」
などと呼ばれているようだ。
私が見た「サンギ」は枯れた植物が袋に入れられていたが、
これは実は「ススキ」のようだ。
沖縄では(他の地域でも、あるかもしれない)
「生命力の強い植物はヤナムン(悪霊・魔物)を退治する力がある」
と信じられている。
これを主に「家から持ち出す食べ物(供え物やお土産・弁当など)」に
乗せるのだそうで、そこらへんに生えている植物を
その場で抜いて(大体、奇数本が基本らしい)
その食べ物の上に載せる。のだそうだ。
これで、ヤナムンから「食物の精」を守るのだそうだ。
「サン」に似たようなもので(本当は同じなのかもしれない)
「ゲーン」というものもあるようだ。
この「ゲーン」は、同じくススキの葉を結んだものだ。
主に家から吊るして魔よけにしたりする。
さらに「桑の木」と束ねて家の四隅の地面に刺す。
この「桑の木と、ススキ」の組み合わせになると「柴」(しば)と呼ばれるようだ。
さらに墓を新しく建てた時には、
空き墓の状態の間のお守りとして「サン(ゲーン?)」を墓に置く。など。
目的は同じく「魔よけ」である。
この本を読んでみて分った。
「サン」は、「そこらへんに生えている植物を抜いて、サンにする」ということに
意味があるようだ。
大地に生えていて、生命力のあるものが「魔よけとしては有効」であり
それを抜き取って使うからこそ、効力があると信じられている。
だから、お土産として袋に入れられているものは
どうもしっくり来ない。というわけである。
地面から抜いて結んだり束ねたり。
この植物の束はお守りであり、ヤナムン除けの「呪具」だったのである。
それがお土産で売られていたら…驚きですよねぇ。納得です。
沖縄の魔よけの道具は「シーサー」「石敢当」だけではなかった。]]>
データで見る、沖縄
http://utasansin.exblog.jp/1238194/
2006-03-14T19:40:50+09:00
2006-03-14T20:51:46+09:00
2006-03-14T19:40:50+09:00
niraikanai76
沖縄考
とも思いますが、他に思い浮かびませんでした。
手元に、この本があります。
今がわかる時代がわかる日本地図 (2006年版)
正井 泰夫 成美堂出版編集部 / 成美堂出版
スコア選択:
もちろん「地図」ですから、地図そのものは掲載されているのですが
この本の内容の大半は、日本の県別の色んなデータで占められています。
沖縄だけを抜き出してみます。
「食」のコーナーより。
<県別消費量において、沖縄が最下位のもの>
りんご・トマト・牛乳・シュウマイ・餃子
清酒・せんべい・アイスクリーム
でした。
納得できそうなものから「?」と思うようなものも含まれています。
中でも「アイスクリーム」が全国での県別消費量最下位。
というのが私は意外でした。暖かい地域ですし
ブルーシールなんかもあり、トップクラスに入ってもよさそうに思えるのですが。
ちなみに「アイスクリーム」のトップは「石川県」でした。
…、どうなんでしょうね。意外といえば、意外です。
食以外でも、こんなデータが。
<全国最低のもの>
・人工10万人あたりの寺社数
・人工10万人あたりの郵便局数
・花粉症・・・これは良いですね。私は花粉症ではないですが。
・大学進学率
・就職率
さらに意外なのが(よく考えれば、そうでもないかな)
・台風被害額…沖縄は「台風銀座」ですから、コンクリートの家など
対策がかなり進んでいるからでしょう。
一度沖縄出身の友人が「本土は台風くらいで騒ぎすぎ」
と言っていたことがありました。
<全国トップのもの>
・人工10万人あたりの訴訟件数…沖縄はそんなにトラブルが??
多くは基地関係ではないかと…。推測です。
・出生率
などでした。]]>
内緒話は方言で。
http://utasansin.exblog.jp/1113791/
2006-03-07T15:01:13+09:00
2006-03-07T15:39:12+09:00
2006-03-07T15:01:13+09:00
niraikanai76
沖縄考
この同僚のおばぁさん。
元同僚が沖縄に住んでいたころは、一緒に暮らしていたそうなのですが
日常会話は、共通語だったそうです。
でも、おじいさんと「内緒話」をするときだけは
「100%方言」で会話していたそうです。
面白いです。ほほえましいです。
きっと「孫には聞かれてはまずい話」だったのでしょう。
でも、「方言は良く分らないけど、聞いていれば意味はなんとなく分る」
と言っていた同僚には、「内緒話」になっていなかったのかも知れません。
でも、この元同僚。
大変優しい人です。
もしもおばぁさんの話していた「方言の内緒話の内容」が理解できていたとしても
きっと「知らない振り」をしていたに違いありません。
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「三線のはなし」
http://utasansin.exblog.jp/1024707/
2006-03-02T00:31:24+09:00
2006-03-02T02:17:11+09:00
2006-03-02T00:31:25+09:00
niraikanai76
沖縄考
この本が好きでよく読みます。
面白いんですよ。
私は6月の新婚旅行の帰りに那覇空港内の書店で購入しました。
様々な由緒ある三線のお話が堪能できますし
白黒ですけど、文化財の三線の写真も見られます。
三線ファンには、たまらない本です。
今までは、この本を読んで楽しんでいるだけだったのですが
最近はこの本と「あわせ読み」して更に楽しんでいます。
琉球王国 -東アジアのコーナーストーン
赤嶺 守 / 講談社
スコア選択: ★★★★★
「三線のはなし」の中の「三線を習う」という項目の記事に
「首里では言い伝えによると、三線は有識者階級が嗜むのが通例であり…(中略)
尚灝王と知念積高との交流や、
尚泰王と安富祖正元や野村安趙との交流が伝えられている…。とある。
ただ「琉球王朝の時代から三線はあるんだよ」と言われても
琉球王朝は一番古い「舜天王」(1187年即位)の頃から
最後の琉球国王「尚泰」が首里城を明け渡し
「琉球藩」が廃止されて「沖縄県」になる1879年まで
は実に692年。およそ「700年」の長い歴史がある。
「三山」といって、権力が分立していた頃もあるのだ。
「琉球王国」と一口に言ってもこんなに長く、
権力や王の力関係、貿易のスタイルも時代ごとで違うのである。
で、上の「琉球王国」の本で調べたところによると
尚灝王…第二尚氏王統 第十七代国王 1804年即位
尚泰王…第二尚氏王統 第十九代国王 1848年即位
とある。
この年代はちょうど江戸時代にあたる。
江戸では1825年に「外国船打ち払い令」を出していたり
1853年に浦賀にペリーが来航して日本に開国を要求していたりした時代だ。
1867年には「大政奉還」である。
そう考えると、琉球の国王が「歴史に残る著名な琉球の音楽家」と交流していたこと、
そして「歴史に残る著名な琉球の音楽家」の誕生自体も、
「そう古い時代の話ではないのだな」とわかる。
単純に、面白い。
ということで、三線自体や
王国の「宮廷音楽」(琉球古典音楽)が洗練されてきたのも
「琉球王朝の末期頃なのかなぁ」ということまで想像がつく。
「三線のはなし」の「三線の型」の項目では
「知念大工型」について
1710年に三弦主取に任命された知念の作と伝える。
と書いてある。
ちょうど同じ1710年に
国王の交代があり、第二尚氏王統第十二代の尚益王が即位をしている。
国王の交代にあわせて「三弦主取」の交代も行われたのだろうか。
ちなみに「琉球王国」の本には「王府行政機構図」という役職や各奉行所の名前が
列挙されている図が掲載されているが、この図の中には「三弦主取」の名前はない。
新しい時代に出来た役職だからか、それほど高い地位ではなかったからのか…。
(※「いちにの三線」の「知念大工型」の解説の記事の中に記載がありました。
「貝摺奉行」は「琉球王国」の本にも出ていました)
この「王府行政機構図」に中でも琉球王府独特の役職がある。
「蘇鉄(そてつ)方」 「両先島在番」 「久米島在番」など。面白い。
名工、真壁里之子も「知念」と「同年代の人…。」「三線のはなし」には書かれている。
だから、三線に対して王国自体が「力を入れ始めた」のは
琉球王国の長い歴史の中では、そう古い話ではないらしい。
さらに話を続けると
名工 真壁里之子の「里之子」とは位階名。らしい、のだが
「琉球王国」の本で面白いことを読んだ。
琉球の「士族」にも「譜代」がいたそうである。
で、その中でも「譜代中の譜代」は「里之子家系統」とされ
「譜代の中でも新参」は「筑登之(ちくどん)家系統」とされていたようだ。
琉球王国は島津の「琉球征服」後に、薩摩の命により
王国内の「士農の別」「王国内の執行体制の整備」を行っていったそうだが
琉球王国は「武功」による評価はなかったので
主に「家譜の編纂・下賜」により、士族の身分は保障されたようだ。
しかし、琉球王府では
徳川の幕藩体制下の武士のように「家督はそのまま相続」
というスタイルはなく、原則として何代か経るに従って「減少」。しかも
最終的には「召し上げ」だったのだそうだ。おぉ、厳しい。
そのため、「家督の維持」は出仕や出世に掛かっていたそうである。
面白いのは、1720年には「5年に一度の家譜の追加編集」を定めているが
これを「仕次」(しつぎ)と言うそうだ。
たしか泡盛の古酒作りも「仕次」というのがありましたっけ。
で、参考までに
琉球王国以下表より
・王子
・按司
・親方
・親雲上
・里之子親雲上
・筑登之親雲上
・里之子
・筑登之
・子
・仁屋
…とこういう順序があったそうだ。
実際には各位階の中でも更に細分化されていたり
簪(かんざし)で身分の別を図ったり…というのがある。
面白いのは「子」から上、「親雲上」までは
「士族でなくてもなれる」ということである。
それゆえ「士族は銀のかんざし」「平民は真鍮のかんざし」で
位階とは別に「身分の差」を区分けしていたようだ。
…あぁ、面白い。いろんなことを知るのは楽しい。
でも、少し暴走気味…ですよね。分ってはいるのですが、面白いので
やめられないです。
尚、この文章の中の私の推測の部分はあくまで「想像」なので
間違っているかもしれません。ご了承を。
「読書はほどほどにして、唄三線を練習しなさい」←自分に向けて…。]]>
東京の、米軍基地。
http://utasansin.exblog.jp/1002997/
2006-02-28T20:12:28+09:00
2006-02-28T21:27:03+09:00
2006-02-28T20:12:28+09:00
niraikanai76
沖縄考
必ずこの場所を通ります。
「在日米空軍 横田基地」
この基地には、戦闘部隊がいません。
ですから、同じ「在日米空軍」の基地でも
沖縄の嘉手納基地(戦闘部隊がいます。)とは
ちょっと様子が違います。
渋滞していたので、車から写真を撮ってみました。
フェンスの向こうに、輸送機(グレーの飛行機)と
旅客機が見えます。
こんな恐ろしい看板も、あります。
今思えば「NYテロ」「アフガン攻撃」「イラク戦争」
こういう時には、基地周辺の警戒態勢がものすごかったです。
基地周辺がピリピリしていて
海外の出来事とはいえ、「戦時」というのを私のような一般市民でも
充分感じられました。
この基地がもし返還されれば、東京の住宅事情も
かなり解消されるのではないか、といわれているそうです。]]>
「地域限定」
http://utasansin.exblog.jp/993736/
2006-02-28T02:18:11+09:00
2006-02-28T03:12:46+09:00
2006-02-28T02:18:11+09:00
niraikanai76
沖縄考
高良 勉 / 岩波書店
スコア選択: ★★★★★
以前紹介した
「ウチナーグチ練習帖」と同じ著者の本です。
この本は、私の中でこれから「何度も読み返す本」になるだろう。
そのくらい、面白かった。
著者の高良勉さんは、詩人であり
以前は沖縄の公立高校の教員もしておられたそうだ。
奥様は何と「琉球舞踊の先生」だそうです。
高良さんは、この著作の前書きで
「民俗誌に近い生活誌を書けたら、と思い続けていました」と
書かれています。
本の内容は、その著者の目指すところをきっちり具現化して
各項目に分かれて説明がなされ、読みやすいながらも
「非常に濃い仕上がり」となっている。
高良さんが少年時代を過ごされた1960年代の
南部玉城村周辺、それもご自身のご家族のエピソードを
中心に交えながらの生活の解説。というお話の進め方をされている。
私がこの本を気に入ったのは
季節ごとに、各項目を区切っての解説を進める。
という分かりやすい本のスタイルだった。
概して、こういうスタイルを採用している本は
本の解説内容のジャンルのいかんを問わず
「各項目について、あまりにも簡単に済ませすぎ」という印象を
受けることが多いのだが、この本に対してはそういう印象は全く受けない。
「ごくごく限られた地域と、自分自身の周辺の生活様式を題材に沖縄の生活誌
を書いていく。」という著者の姿勢が徹底されているからこそ、項目数は多いものの
それぞれの内容が決して浅くなることはなく、
思いのほか深い仕上がりとなっているのだろう。
参考までにこの本の「目次」を引用させていただく。
正月~黒砂糖の香り
・年の始まり
・をなり神
・旧正月と豚
・グソー(後生)の正月
・琉球舞踊
・鬼餅
・サトウキビ刈り
・ウタキとグスク
春~うらこやはひ
※「うらこやはひ」
「おもろそうし」より引用の「囃子詞」で「待ち遠しい」という意味。だそうです。
・浜下り
・清明祭
・八重山
・チャンプルー
・沖縄芝居
・復帰と独立
・国際交流
・沖縄忌
・基地
・ハーリー
夏~芭蕉布ゆれて
・スクだより
・バクさん
・おばぁと海
・島ぐるみ闘争
・選挙と住民運動
・ある写真家
・台風銀座
・宮古
・綱引き
・お盆とエイサー
秋~サシバ渡る
※「サシバ」…「差し歯」ではありません。
鷹の一種。渡り鳥で国際保護鳥に指定されている。鹿児島の佐多岬に集結して
秋になると沖縄で言う「ミーニシ(新北風)」に乗って南へ渡る。
沖縄宮古諸島を中心に休憩した後、フィリピンへ向けて飛び立つ。
・観月会
・カジマヤー
・移民と戦争
・結婚式と葬式
・神拝
・島唄
・奄美
・アイヌ民族と
・正月準備
この本を読んで、初めて知ったことがたくさんあった。
たとえば「沖縄忌」という言葉。
沖縄戦の終結は6月23日。
『とされているが、実際にこの日は日本軍の
第32軍司令官牛島満中将と長勇参謀長が
自決した日(最近では「22日説」もあるそうだ。こちらの方が有力説らしい)であり
「組織的戦闘が終結した日」である。米軍の作戦終了宣言は7月2日。
正式な「降伏調印式」は9月7日である。』
というのはともかく…。
この6月23日。今では「慰霊の日」とされています。
沖縄では本土復帰以前から公休日となっています。
「沖縄忌」という言葉は
この6月23日の前後を表現する季語。なのだそうです。
「沖縄全体が忌み篭もりに入っている」という印象を表現している季語です。
沖縄にも俳句があり、有名な俳人もいらっしゃるそうで
小熊一人(おぐまかずんど)さんという俳人の方が
「沖縄俳句歳時記」という本の中で季語として整理されたそうです。
『沖縄忌 ハイビスカスの 赤何ぞ』 小熊一人
こんな風に使われています。
沖縄にも俳句があること、しかも独特の季語があることも
初めて知りました。勉強になりました。
これはほんの一例で、私はこの本からたくさんの事を勉強させてもらいました。
「夜勤の仮眠時間」「電車の中」「寝る前」
これからこの本は、何度も私自身読み返すことでしょう。
余談ですが「面白おかしく沖縄について書いた本」
というのは多く出版されていますが、私はどうも好きになれません。
「テーゲー」「時間にルーズ」などと、少ないページ数でしかもサラッと書かれ
あたかも「沖縄全体がそういう人ばかり」とでも言うような勢いで強調されすぎているように
感じる本が多い気がします。読み物としては面白おかしく読めるでしょうけど
「やりすぎじゃないの?」と思うこともしばしばです。
それよりは、この本の著者ように
「私の日常生活は沖縄本島の南部である島尻郡と那覇市を中心に展開しています。
日常生活は、人によって、家庭によって、職場や地域によっても異なるでしょう。
ましてや、沖縄は南は八重山群島から宮古群島沖縄群島そして北は奄美群島まで含まれる
琉球弧の島々はそれぞれの風土や歴史、文化において強烈な個性を持っています。
したがって私の生活誌はあくまでも沖縄本島南部地域のという相対性から逃れられません」
(前書きより)
とあらかじめ書いて、ディープな内容を展開してくれたほうが
私にとってはものすごくありがたい。
私の知らない沖縄、しかも1960年代の
「私が行きたくても、もう行けない沖縄」のごくごく限られた生活誌。
ディープでほのぼのしていて、それでいて考えさせられる本。
しばらくは「手放せない一冊」になることだろう。735円は安い!!]]>
日本人とは、なにか。
http://utasansin.exblog.jp/918506/
2006-02-23T12:33:28+09:00
2006-02-23T12:41:39+09:00
2006-02-23T12:33:28+09:00
niraikanai76
沖縄考
大江 健三郎 / 岩波書店
スコア選択: ★★★
んもう、読むのに大変であった。
初版が「1970年」であるから、当然「今書かれた文章」ではない。
当時書かれた文章と今の現実との「時代の違い」を、自分の頭の中ですり合わせながら
大江健三郎の「難しい文章」を読み解いていく…。
頭から熱が出そうであった。
書評を、どう書いて良いか分からない…。
あまりに難解で、「読み終えた」というのも
はばかられる今の私の理解度だ。
しかし、時代は違えど「沖縄が日本に属するのではなく、日本が沖縄に属するのだ。」
という考えは、当時としては斬新な考えだといえよう。
本土の人間に向かって
「沖縄を、このままにしておいても良いのか?」
という著者の見えない問いかけは、時代を超えて私の心に突き刺さる。
沖縄と本土の事だけではなく「日本人とは何か」というのを
ものすごく考えさせられる一冊だ。
余談だが、読み物にしろ自分が書く文章にしろ
何度も「沖縄・本土」「沖縄・本土」という言葉を見たり書いたりしていると
どうしても「見えない差別」を自分の心のうちに感じてしまうのは
私の考えすぎなのだろうか…。]]>
沖縄の、問題を知る。
http://utasansin.exblog.jp/781921/
2006-02-14T21:01:26+09:00
2006-02-14T21:34:01+09:00
2006-02-14T21:01:26+09:00
niraikanai76
沖縄考
新崎 盛暉 / 岩波書店
スコア選択: ★★★★★
沖縄の抱える問題とは何なのか。
この本を読めば、それが分かるはずである。
私はずいぶん前に、この本を買って読んだが
一度読んだだけでは、なかなか頭に入ってこない。
沖縄の駐留米軍や、軍用地をめぐる様々な特別立法の名前が出てきたり
様々な団体の名前が出てきたりして、内容が細かいのである。
今までに3度ほど、返し読みをしている。
でも、なかなか全ては把握できていない。
内容が細かいということは、それだけ緻密に書かれている。
ということになるので、読み物としては私の中で最高位にランクされている。
著者の感情は本文にあまり混じっていない。
これは推測の域を出ないが、「史実だけを忠実に書き記す」
という著者の意向からではないだろうか。
時として、史実物の書物で「○○史」と書かれたものを読んだとき
史実よりもはるかに多くの「著者の感情」がこめられていて
まるで小説を読んでいるかのような気分にさせられることがある。
(史実を知りたい私は「がっかり」という気分をあじわったこともあるのだが…。)
けれども、この本にはそういったことは感じられない。
沖縄は、今まで日本のダークサイドの最前線にいつも立たされてきた。
それは、今でも継続され続けているのである。
仮に埼玉県に「在日米軍基地(専用施設)の75%が集中している」
なんていう状況だったら、どうであろうか。
「沖縄は、いまも戦いを強いられている」
これはいつも、忘れてはいけないことなのだろう。
「沖縄ファン」の私にとっては。
※この本は「新版」があるので読んでみたい方には、そちらをオススメします。]]>
理屈抜き
http://utasansin.exblog.jp/684453/
2006-02-08T01:45:47+09:00
2006-02-08T01:45:47+09:00
2006-02-08T01:45:47+09:00
niraikanai76
沖縄考
石原 昌家 / 集英社
スコア選択: ★★★★★
やっと、読了できた一冊である。
通常、私はこの手の「新書」は一日、ないし2日くらいで読了してしまう。
この本に関しては、読み始めから読了まで10日かかった。
内容が、悲惨すぎて(いや「悲惨」という使い古された言葉自体を使うのもはばかられるが)
とてもじゃないが、一気に読み進めることなどできないのだ。
アブチラガマは、現在の南城市(玉城村)の糸数に今でもある。
別名「糸数壕」。
轟の壕は、糸満市に。同じく今でも、残っている。土地の呼び名は「カーブヤーガマ」。
「カーブヤー」とは「コウモリ」のことだそうで「ガマ」とは「壕」のことである。
この二つの壕は「沖縄修学旅行・平和教育」で訪れる修学旅行生も多いと聞く。
沖縄には、この手の壕は数多く点在しているが
その多くの壕の中でも、2つの壕に焦点を絞り
「軍官民共生共死」について書かれた本は少ないのではないか。
著者は「沖縄国際大学」の教授である。
ゼミの学生とともに、長年に渡り壕の調査や
「沖縄戦・壕生活体験者」への取材により
この本を完成させたのだそうだ。
本の中には、綴じ込みで壕の内部の見取り図まで付いている。
これは違う本で読んだのだと記憶しているが
「平時は殺人は罪になるが、
戦時下ではより多くの殺人を犯したものが勲章をもらったり
英雄視されたりする。異常なんだよ、戦争は」
という言葉を聞いたことがある。
現代日本の安全保障を考えるとき
現在の日本を取り巻く事柄だけで語られることが多い。
防衛費・安保・ガイドライン…。
でも、この本を読むと
「理屈抜き」
というのが良く分かる。
「戦争は、異常」なのだ。
「やってしまった時点で、国は滅ぶ」のだ。
時代が変わっても、これだけは変わらないのだろう。
この本を読み終えたとき、
「お前達、そんなことをしていて良いのか。
何の為の教訓だったのだ」
と、ほの暗く湿った壕の中から
数え切れない恫喝の言葉が、
今の日本に投げかけられているような気がした。]]>
傘は、いりません
http://utasansin.exblog.jp/664390/
2006-02-06T21:21:10+09:00
2006-02-06T21:24:40+09:00
2006-02-06T21:21:10+09:00
niraikanai76
沖縄考
このおかげで、私はひとつの発見をした。
雨が降っていても、沖縄の人は何故か傘をささないのである。
那覇でも北部でも南部でも。
車の中から色んな人を観察していたのですが
雨が降っていても誰も傘を差していません。
一人だけ、傘を差している人を発見したのですが
それが沖縄では何故かあまりに不自然に見えて
「なんで傘差しているんですか?」と聞きたくなってしまったくらいである。
不思議でしょうがないので、沖縄出身の女性の友人に聞いてみたことがあります。
「傘?ん~。そう言われれば、沖縄にいた時はあまりさしませんでしたねぇ。
何故?と言われても困るんですが…。とりあえず家を出るときに雨が降っていなければ
傘は持って出かけることはなかったですね。」
もう一人、沖縄出身の友人に聞いてみました。
「傘? だってめんどくさいじゃないですか、持って歩くの。
沖縄では、いきなり雨が降ってくることが多いんで
いつ降って来るか分からない雨に対して備える。という感覚はないですね。
それに、自動車で移動することが多いからじゃあないのかなぁ。
それくらいしか、説明できないんですけど…」
自動車で移動することが多いから。これは分かるような気がします。
私も車に乗るときには、雨が降っていても傘を持っていきません。
でも、中学生や小学生までも傘をささない理由は?
これは聞きませんでした。
いきなりの雨。この気持ちも分かります。
「雨が降るかなぁ」と思って傘を持っていったのに
雨が降るどころか快晴だったりしたら…悲しくなります。
しかもそれが頻繁にあったりしたら「傘を持っていこう」と考えることすら
馬鹿馬鹿しくなってきます。
でも、ふたりとも
「なぜそんなことを聞く?」というような顔をしていました。
沖縄では「雨でも傘をささない」というのは、当たり前なのかもしれません。]]>
おっと驚き!!この公園…
http://utasansin.exblog.jp/598505/
2006-02-02T01:11:58+09:00
2006-02-02T01:16:30+09:00
2006-02-02T01:11:58+09:00
niraikanai76
沖縄考
ここは「米軍基地の返還」によって新たに造成された施設だったのですね。
記事を書いていて、思い出しました。
非常に良い公園です。
皆様も、お近くにお立ち寄りの際には是非行ってみて下さい。
暖かい日なら、私が三線の練習をしているかも?
]]>
沖縄は、いつ癒されるのか。
http://utasansin.exblog.jp/584414/
2006-02-01T01:30:50+09:00
2006-02-01T23:07:15+09:00
2006-02-01T01:30:51+09:00
niraikanai76
沖縄考
目取真 俊 / 日本放送出版協会
スコア選択: ★★★★
私が最近読んだ本です。
興味深くて、すぐに読了してしまいました。
著者は、沖縄出身の小説家です。
肉親の沖縄戦体験や、沖縄に住んでいる者にしか分からない
米軍の演習反対運動や「米軍基地の事」など、その記述は多岐に渡って素晴らしい。
著者は「沖縄には<戦後>はまだ来ていない」という。
米軍基地が沖縄には「沖縄本島の20%の面積分」ほどある。
ベトナム戦争の時には嘉手納基地からB52が「北爆」に出撃していったり
イラク戦争に普天間基地から海兵隊が派遣されたりという現状と歴史を見るとき、
果たして沖縄は「戦後60年」と言えるのか。
米軍基地があり、戦争があり、沖縄の米軍基地から戦地に赴く部隊がいる以上、
沖縄はアメリカの行う戦争の渦中にあるのであり、
「戦後60年」は沖縄には当てはまらない。
むしろ「戦後ゼロ年(戦時下)」というのが正しいのではないか。
というのが本のタイトルであり、著者の主張だ。
この本の中で、私が驚いた記述が2つあった。
どちらの記述も、
「沖縄を敬愛する本土人」「沖縄民謡と三線を愛する本土人」である私を
驚愕させるに値する記述である。
驚きながらも「あぁ、やっぱり。そういう気持ちも素直なところだろう」
と思わざるを得なかった。
なかなか強烈な記述なのだが、ここで引用させていただくことにする。
「沖縄へ、本土の人間は<癒し>を求めて旅行に来る。移住してくる。
しかし、当の沖縄は、いったいいつ癒されるのか」
「沖縄ブーム」で三線を弾いたり、エイサーを踊るヤマトンチュ(本土の人)が
増えています。
だが、どれだけの人が、沖縄人が味わった差別と同化の歴史を知っているでしょうか。、
彼らは差別を克服したのではありません。単に無知なだけです。
そういう沖縄大好きヤマトンチュは、自分が気に入った「沖縄」をつまみ食いするだけで、
気に入らない所は無視して済ませます。
今の「沖縄ブーム」は、ヤマトンチュにとって
都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されています。
そういう無知の怖さを自覚しないで「いちゃりばちょーでー(行き会えば兄弟)」
と沖縄民謡の一節を口真似して近寄ってくるヤマトンチュが、
私には薄気味悪くてなりません。
なかなかの辛口である。
もちろんこれは、著者の言葉なので
これがそのまま沖縄県民の総意だとは考えられない。
ただ、多かれ少なかれ、こういう気持ちを持つ人も沖縄県民の中にはいるのだ。
という感想を、私は持った。
さらに付け加えると、本からの一部分の引用なので
この言葉が本の内容の全てを言い表している。というわけではない。
私は普段、米軍基地の事などを意識しながら三線の練習をしているわけではない。
沖縄の芸能や文化を好きになるのに、米軍基地の事は無視しても
それはそれでやり過ごせてしまう。
だけど、沖縄県民の中にはそういう私のようなヤマトンチュを
「けしからん」と思う人もいる、ということだ。
そのことは沖縄県民の人から直接指摘されたことは無くても
薄々感じてはいたが、実際に沖縄県民である著者の言葉を
自分の目で読むことによって、確実に自覚させられた。
「こういう風に思う人も、沖縄県民の中にはいるのだ。」と。
沖縄の人は、沖縄に米軍基地が多く設置され
また、そのために米兵の犯罪被害や事故や
テロの標的になる恐れや
基地経済の問題などの「基地があることによる弊害」について
「本土の人は一体どう思っているのだろう」ということを
長年にわたって案じ続けてきたようである。
しかし当の本土はといえば、沖縄の米軍基地を
「本土でも負担しよう」というわけでもなければ、
真剣に沖縄の歴史や基地問題を考えてくれているのか。
というのも、沖縄県民には良く分からない。
いや、考えてくれているのかも知れないけれども
少なくとも沖縄県民である著者には、実感として伝わっていない。
それでいて「癒しだ。南の島だ。パラダイスだ。」と遊びに来る本土の人…。
ここの部分においては、著者と本土の人では温度差が大きすぎる。
もちろん、沖縄の事を真剣に考えて勉強している本土の人も大勢いるだろうし
本土の人に嫌悪感を持たない沖縄の人もいるであろう。
人が「あ、自分の事を気づかってくれているな」
と思えるときには、相手から実際に積極的な行為がある場合が大半であると思う。
言葉や表情だけでは「あ、気づかってくれているな」とはなかなか思えない。
たとえば多くの仕事を抱える自分に対して
「大丈夫?あまり無理しないでね」と言葉だけで、さっさと帰宅してしまう人よりも
「そんなに抱えているのか。どれ、手伝ってやろう。二人で早く片付けて
早く帰ろう」
と言ってくれる人のほうが
「あ、自分の事を考えていてくれるのだな」と思える。
でしょう? 思えませんか?
「苦楽を共にする」というのは、人間関係おいても信頼を構築する上では
重要なファクターでしょう。
苦しい思いを互いにしたならば、苦しいという相手の「苦しさ」を理解しやすいです。
では、米軍基地についても沖縄と本土は「苦楽をともに」してきたのでしょうか。
私の大学時代の「安全保障」の講義では
最初の講義で「沖縄の歴史」をさらりと学んだ。
その後、授業の中で教授から
「沖縄に米軍基地は要らないと思うか。」
という質問が出された。
多くの学生は「基地反対」と回答していた。
だが、講義が進むにつれて
「沖縄では、米軍基地で働くことによって生活を成り立たせている人もいる」
「沖縄の米軍基地には、ちゃんと沖縄県民の地主(軍用地主)がいて
賃貸料で生計を立てている人がいる」
「反戦・反基地運動が高まると、基地の土地代が値上がりして
地主は儲かる」
「基地を抱える自治体には、政府から補助金が出て
貴重な自治体の財源になっている」
というようなことを知り、
必ずしも沖縄全体が「反基地ではない」というようなことを
学生達は学んでいく。
そしてさらに質問は教授から繰り返される。
「沖縄に、米軍基地は要らないと思うか。」
「基地反対」と答える学生は、減っていった。
この「最初の講義」
今でも私はこの時の「ディスカッション」が忘れられない。
「沖縄の米軍基地は、本土も肩代わりして負担すればいいのではないか。」
「いや、米軍基地が増えると本土でも問題が増える。」
「では、その問題に今現在もさらされ続けている沖縄はどうなる?
同じ日本人として、見て見ぬ振りをしろと?」
「沖縄県内でも賛成・反対と意見の分かれているものを
本土の人間が、勝手には決められない。」
「自衛隊も、米軍も、いらないと思う。」
「では、侵略に対する防衛は?」
「こういう意見も…」
「いや…」
こんな学生のやり取りが続きました。
「安全保障」の講義だったのですが、
この段階ではまだ知識があまり無いので、
学生も一生懸命持てる知識で討議をしていました。
私は「何が正しいのか」というのがさっぱり分からず
当たり障りの無い意見しか言えなかったと思います。
この時に、私は
「物事は、色々知れば知るほど本質的に何が正しいか。というのは分からなくなる」
というのを学んだ気がします。
本土の人でも、米軍基地のある町に住んでいる人はいます。
その被害に悩まされている人もいるでしょう。
現に、私の住む町にも米軍基地はあります。
でも、単なる「通信基地」なので飛行機が低空で飛んできたり
武装した米兵の姿を見ることもありません。
通信基地の周辺は、いたって静かなものです。
ただ、広大な敷地がフェンスに囲まれているだけです。
そこでは「米軍基地があるがゆえの苦悩」というのは
あまり感じません。
「あぁ、この基地が無ければ住宅事情も多少は解消されるんだろうに」程度です。
一方で、私の住む町から車を45分ほど走らせると
「在日米空軍横田基地」があります。
ここは飛行機も飛来しますし、騒音問題や「基地があるがゆえの様々な弊害」
もあるようです。
近隣住民の方が「基地反対デモ」をしているのを、たまに見かけます。
「基地の近くに住んでみないと、分からない」
というのは、正直なところです。
逃げているようにも聞えてしまう意見ですが。
でも、そういう理論でいくと
「沖縄戦は、沖縄戦を経験したものにしか分からない」
という理屈になってしまいます。
では、沖縄戦について沖縄戦を経験したことの無い人間が
沖縄戦について考えることは、無意味なのでしょうか。
いえ、そうではないでしょう。
「何が問題なのか」「どういう事情をはらんでいるのか」
ということを、知ることは出来るはずです。
沖縄の楽器を手にした私は、沖縄の為に何が出来るのでしょうか。
私は、「自分が気に入った沖縄の良い所だけをつまみ食いしている」だけなのでしょうか。
また沖縄に行っても「ただ遊んでくるだけ」になってしまわないか。
かといって、具体的に自分のような一般市民に何が出来るのか…。
私の答えの出ない模索は、まだまだ続くようです。
]]>
新たなカテゴリ、追加しました。
http://utasansin.exblog.jp/576827/
2006-01-31T18:28:19+09:00
2006-01-31T19:26:38+09:00
2006-01-31T18:28:18+09:00
niraikanai76
沖縄考
追加しました。
最近は話題が「三線」のことばかりなうえ
(まぁ、ブログのタイトルにもなっているわけですから仕方ないですけど…)、
その三線についても「知識と経験不足」に悩まされながら書いているわけですが
それ以外のことについて、なかなか書けていません。
ただでさえそんな現状なのに
「カテゴリ増やしてやっていけるのか!?」と
自分でも思いましたが、やってしまいました。
私は、三線との出会い以前に沖縄と出会っています。
大学のときの講義がそれです。
でも、沖縄に行ったのは一回だけです。
沖縄の歴史や文化や戦争や基地問題も
知識では知っていても、実体験がありません。
離島の問題。なんていうのはもっと知りません。
知識量も、そう多くは無いです。まだまだこれからも
いろいろ勉強したいと思っています。
ですから、どうがんばっても
「片手落ちの記事」になってしまうと思われます。
まだまだ知らないことも、たくさんあります。
そんな私でも、考えられずにはいられません。
「沖縄考」
自分に出来る範囲で、始めてみようと思いました。
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